—— Zine / Indie Comic 向け印刷サービスの現状とその歴史的背景 ——
第1章 欧米におけるアマチュア出版向け印刷サービスの現状
本来、街の印刷屋は素人 を相手にしなかった。それは活版時代でもオフセット時代でも同様であった。その理由は知識のないことや、業界に精通していないためだ。
当時はDTPがなく紙の「版下」はインクで線を引いたり、写植を貼り込んだり、指定したりと職人ワザでつくる。印刷に関する知識がない学生が作った版下には不備 が往々にして存在し、これを修正するためには多大な労力 (トンボや四色分版を一から解説するのは実質的に「印刷の職業訓練」を無償で行うようなもの であり、商業ベースでは完全に大赤字です)がかかる。
また、当時の商業印刷は「B to B(企業間取引)」 の商習慣で動いていたため、校正(チェック)の責任は発注側にある。しかし、印刷業界の慣習・作法を知らないアマチュアは「思っていた色と違う」「仕上がりが汚い(原因は本人の版下の汚れ)」「白いふちがある(断裁時のズレ、塗り足しを知らない為)」といった事があると厄介な消費者になって、文句を言ったり刷り直しを要求したりなどのトラブルがあるので、敬遠された。
更に当時は金属の刷版を作る「オフセット印刷」や、文字を鉛で組む「活版印刷」が主流だった。これらは「版を作るコスト(初期費用)」が非常に重く、数千〜数万部を刷ることで1冊あたりの単価を下げるビジネスモデルである。学生が注文する「100部」「200部」といった超小部数 は、印刷所にとっては手間ばかりかかって全く利益が出ない 「採算割れ」の仕事であった(高い料金なら引き受けるかも)。
一部のコミケ向け同人誌では過激な表現があり、これは安寧に暮らしている街の印刷所にとっては、「わいせつ図画(刑法175条)」 の印刷に問われかねない、法的なリスク を孕む危険な注文と映る。企業や役所からの堅い仕事 をメインにしていた街の印刷所が、リスクを嫌って門前払いにするのは当然の防衛策だった。
当時は、不備のある版下を印刷するために、印刷所の職人や店主が実作業の際に「ゴミ取り(スポッティング)」 をしたり、職人技でトンボを合わせ直したり、面付ができるように版下を切ったり、ノンブルがない版下を確認したりという「見えないカバーワーク(修正作業)」 が発生した。学生側は「お金を払っている」と思っていても、実際には印刷所の職人の厚意 (あるいは泣き寝入り的な同意)によって成立していた側面もある。
ところが昭和50年代以降、日本には「コミケ」 など漫画同人誌の即売会市場が発達したため、大量のアマチュア出版物印刷への需要が生じてきた。そのため廉価で素人の相手をする「同人誌専門印刷所」 が存在するようになり、1993年には協業の組合、日本同人誌印刷業組合 まで設立された。
では、欧米(アメリカ・ヨーロッパ)においても、「Zine (ジン)やIndie Comic (インディーズ・コミック)を専門に印刷サービス(Short-run printing / Zine printing services)」する会社は存在するのだろうか?
一般の法人・役所を取引先とする商業的な印刷所ではなく、学生などの若者が発注できるようなアマチュア出版向けの印刷に応需する店はあるのかを中心に、欧米のアマチュア出版の印刷について調査してみた。
第1節 概観:二層構造としての「同人誌印刷所」
欧米(米国・英国を中心)には、一般商業印刷所とは別に、アマチュア作家 ・セルフパブリッシャー を主たる顧客とする印刷サービスが確かに存在 する。ただし日本の「同人誌専門印刷所」(即売会イベントに連動した締切・搬入システムを持つ専業者)とは業態が異なり、以下の二層に分かれることが分かった。
デジタル小ロット/POD(print-on-demand)系 :コミックや冊子の小ロット印刷をウェブ注文で受けるオンライン印刷所。最低部数なし(1冊から)が売り。
Risograph(理想科学のデジタル孔版印刷機)系スタジオ :アーティスト自身が運営する小規模工房で、Zine や art book の制作を請け負う。ワークショップやコミュニティ機能を併設する例が多い。
第2節 デジタル小ロット・POD系コミック印刷所
(1)Ka-Blam Digital Printing(米・フロリダ)
2005年にフリーランスのコミック関係者であった Thomas Florimonte Jr. と Barry Gregory が設立し、2006年に正式開業した。
「独立系コミック・コミュニティのための高品質・低価格印刷」という明確なコンセプトを掲げ、部数の閾値ではなく必要量に応じた印刷(POD) 、セットアップ料金の撤廃 、フルカラー小部数印刷の低価格化 を業界初として打ち出した(Ka-Blamは、誰でも簡単に手頃な価格でフルカラーのコミック印刷を行えるように価格を算出した最初のコミック印刷所。Ka-Blam以前には、フルカラーの少部数印刷コミックなどはほとんど存在しなかった。)。
2007年にはPOD型オンライン・コミック書店 IndyPlanet.com を開設し、現在11,000点以上の indie comic (及びノンフィクション系の活字同人誌も)が登録・販売され、印刷・発送・販売代行までを一括して担っている。
これは日本の同人誌印刷所 と委託書店(とらのあな等) を足したような垂直統合モデルである。累計300万冊以上を印刷・出荷している Ka-Blam公式 / IndyPlanet
(2)Comix Wellspring / Greko Printingが創業(米・ミシガン州 Roseville)
「the comic book printer」 を自称する、コミック専門の印刷ブランドである。元々は一般商業印刷所 Greko Printing (Plymouth, MI)のインディーズ・クリエイター向け部門として発展し、1冊からの注文 (大口は部数割引)を謳い、コミック・グラフィックノベル・ポスター等を専門に扱った。
北米の indie comic 界隈では Ka-Blam と双璧をなす存在として頻繁に比較・言及されてきたが、近年、操業を一時停止し未履行注文を返金した ことが報じられ、イベント(コミコン)シーズン前のクリエイターに混乱を生じさせた(HPでも受付がストップしている) ComicsBeat / Comix Wellspring / r/ComicBookCollabs
(3)その他の小ロット冊子・セルフパブリッシュ向けサービス
Mixam (米・英):ウェブUIで「Zine printing」を独立カテゴリとして提供する大手オンライン印刷所 Mixam
UIでは、次の項目を入力・選択することで直ちに見積金額が表示されるシステムである。
部数1~数千部、頁数(8頁から800頁)、カラー、縦長か横長か、サイズ(A4判~A6判はあるが、他は日本ではなじみのない十数種のインチの寸法の種から選択)、紙質(コートか光沢か。重さは70ポンド、80ポンド、100ポンドから選択)、製本(ホチキス・無線・リング製本)を選択して版下ファイルをアップロードする*1
Ex Why Zed (英):「Zine Printing, Art Books and Self-Publishing」を専門に掲げ、初心者のセルフパブリッシャー支援を売りにする印刷所 Ex Why Zed
Greenerprinter (米・カリフォルニア):再生紙使用、ミニマムなし・製版不要の short-run book printing Greenerprinter
48 Hour Books (米)、Lulu (米・POD大手):セルフパブリッシャー全般向け 48 Hour Books / Lulu
第3節 リソグラフ系Zine印刷スタジオ
2010年代以降の欧米Zine文化の印刷を象徴するのが、日本の「理想リソグラフ」を用いた ステンシル印刷のRisograph スタジオである。以下は代表例である。
スタジオ名
拠点
特徴
Ditto Press
London(Dalston)
Ben Freeman と Lynsey Atkin が2009年11月創業。英国初の Risograph 専門プリント・パブリッシング会社 People of Print / Hackney Citizen
Issue Press
Grand Rapids, MI
George Wietor が2011年から運営する出版社兼Riso印刷所。出版活動を印刷受注で支えるモデル Issue Press
Secret Riso Club
Brooklyn, NY
アーティストランの独立出版・デザインスタジオ兼印刷工房。書店・学習スペースを併設 Secret Riso Club
lucky risograph
DUMBO, NY
国内外のクリエイターと協働するRiso印刷所 lucky risograph
Risolve Studio
米
2017年創業のRiso印刷・デザインスタジオ Risolve
Footprint Workers Co-op
Leeds, 英
労働者協同組合(workers co-op)組織。再生紙のみ使用。zine・チラシ・レコードスリーブ等を印刷 Footprint
RISOTTO
Glasgow,英
2012年創業の文具・プリントクラブ併設のRisoスタジオ RISOTTO
第4節 日本との比較に関する一考察
日本の同人誌印刷所が「即売会イベント締切・会場直接搬入」に応需するのに対し、欧米では (a)convention(コミコン)や zine fair 向けの個人発注をウェブ経由で全国から受けるPOD業者 と、(b)地域コミュニティに根ざしたRiso工房 が分化して存在する。日本のような「同人誌専門」を積極的に謳う看板こそ少ないものの、機能的には同等のインフラが成立していると評価できるのではないか。
第2章 欧米のアマチュア出版の展開
第1節 印刷手段の民主化
アマチュア出版の隆盛は、印刷という「生産手段」が個人(素人)の手に渡った技術的革新と不可分である。
ホビー・プレスの発明: 1867年にベンジャミン・O・ウッズが発明した「ノベルティ・プレス(Novelty Press)」 がウッズ&カンパニーから発売された。アマチュア向けの印刷機の製造販売である。さらに1872年には「ケルシー印刷機」 という低価格な卓上印刷機が発売され、それまでプロの領域だった印刷が一般家庭のダイニングや居室でできるようになった。
これは卓上ではないので15~50ドルだが、数千台売れた
手組み(Hand-set type)の時代: 初期のアマチュアたちは、小さな活字を一字ずつ手作業で拾う「手選文」に情熱を注いだ About - AAPA 。
なお筆者はケルシ―等の実物を手に取った訳ではないため、実際の活字の高さがどの程度か不明である。玩具的な活版印刷機の場合、高さが一センチに満たないこともあるため、日本人より手が大きい外国人がピンセットを使って植字をするのは相当大変ではないかと予想する(この操作という点ではタイプライターや手書きで製版できるミメオグラフやスピリット複写機のほうがむしろ楽であろう)。
この伝統的な技法は、20世紀にプロの世界で自動鋳植機が主流となっても、アマチュアの間では「趣味の王道」として維持されたという。
The Next Hundred
米国で1870年代の終わりまでには、全州でアマチュア新聞が発行されており、 数百紙 に上る州もあった。 アメリカ古文書協会 (American Antiquarian Society)が所蔵している新聞は 55,000紙以上 だというThe Emancipation of Boyhood 。
新聞の多くは 4~8ページ (1~2枚の紙を折り畳んだ形)であったが、中には32ページに及ぶものもあったし、 はがきの裏面 に印刷された新聞もあったThe Emancipation of Boyhood 。
少年アマチュア出版者の 約半数 が、自ら家庭で新聞を印刷。 4分の1から3分の1 は他のアマチュアの印刷業者に発注、残りはプロの印刷業者で刷っていたThe Emancipation of Boyhood 。
20世紀に入ると、アマチュア・ジャーナリズムの対象は青少年だけでなく成人にも拡大した。
「その初期の数十年において、10代の若者たちによる独自の印刷サブカルチャーを構成しており、おそらく史上初の事例であったと言えるだろう」
The Emancipation of Boyhood と、Lara Langer Cohenはいうだが、これは日本の明治青年たちの地方文芸雑誌がアメリカに知られていないためであろう。
本稿はあくまでも 「印刷」 の観点から青少年のアマチュア出版を論考するものであるため、ここでは詳述しないが、日本の地方文芸雑誌 や校友会雑誌 も含め、ユース・カルチャーに於ける「アマチュア出版」の日米欧の横断的比較研究 が必要だと考える。米国の「アマチュア新聞主宰者」界隈は閉鎖的だったようだが、日本の地方文芸雑誌界や趣味誌界も似たようなものである。
非常に興味深いのは米国のアマチュア新聞でもお互いの発行物の 「交換紙」 を相互に依頼していたことだ。そして中にはこの「交換」システムを利用して無料で新聞を入手するため 「詐欺的交換紙」 を発行する少年もいたというThe Emancipation of Boyhood 。また新聞の発行者同士で 連絡・交友 をするのが目的になった子もいたようだ。
これは日本の趣味誌の世界でも見られる現象であり、 どこの世界でも人間が考えることはほぼ一緒 である。
「交換誌」は相手と自分の発行媒体が「釣り合う」かどうかも問題になる(自誌がB5判48ページで相手がB6判8ページでは、交換しがいがないというか、率直に言えば 「何だか損をした」 気分になるのだが、趣味誌界では 「互恵」 の文化が根付いているため、体裁の貧弱さで交換誌を断ることは少年にとっては中々難しい。相手が年下であれば寛容さを示したり、今後の成長を期待して交換に応じることが多い。
趣味誌界を構成する人々は、 無料贈呈品の提供 に応じたり、 入札を低額で実施 したり、 寄付金を送ったり と「自分の利益」を考えるだけではない者が多かった。
蒐集趣味の世界でも 居住地で入手できる趣味品を頒布 したり、 蒐集に協力 したり、 大阪の趣味家が東京を訪問すればどっさりとお土産を渡したり (逆も同じ)と、やはり「情けは人の為ならず」があった《※趣味家以外の方には分かり難いかも知れないが、大家の方は相当沢山の趣味品を蔵している上に、毎日のように更に追加されている。例えば例会で7,8名にレジ袋一杯の寸葉品をお土産として差し上げることは平気で行えるのである》。そうした趣味家たちの 互恵精神 が背景にあったからこそ、 板祐生は鳥取の地を動かずとも全国から趣味品が集まった のだということを忘れてはならない)
ケルシ―印刷機
出典はDo Your Own Printing , Public Domain 。
第2節 ケルシ―印刷機
(1)印刷のやり方
本機は手動のハンドプレス印刷機で 「ケルシー印刷機(Kelsey Excelsior Press)」 と呼ばれる、主に少年・家庭向けに製造された卓上型の簡易活版印刷機である。日本では 「手フート」 と呼ぶ印刷機である。
構造は、金属枠(チェイス)に組んだ活字面(刷版と同様)にインクを塗布し、紙を強く押し当てて転写する凸版印刷方式であり、一回のレバー(ハンドル)操作を行うことでインク塗布と紙への圧着が連動して行われる。
【準備工程】
用意した活字をケースから拾って組付け枠(チェイス)に並べ(植字)、木片(ファニチャー)を詰めたり枠をネジでしっかり締めて固定する。この枠を本体中央の垂直な版面にセットする。また、上部にある円盤(インク・ディスク)の上に適量の印刷インクを塗布しておく。
【印刷・操作工程】
印刷用紙は一枚ずつ手作業でプラテン(圧着板)のガイドに合わせてセットする。
手前のレバーを力強く倒すと、以下の動作が連動して行われる。
1. 下部に静止していたインクローラーが上方へ移動し、前面の活字面(刷版同様のチェイス)にインクを均一に塗りつける。
2. インクローラーは刷版面を通過し、更に上部へ移動すると同時に、手前の圧盤(予め印刷用紙を乗せた板)が起き上がり、垂直な活字面(刷版同様のチェイス)に向かって強く押し付けられ、紙に圧着、活字が転写される。
3. インクローラーが上方へ移動し前面のインク円盤へ接触する。このとき円盤はわずかに自転(回転)し、インクローラーに新しいインク面を補充しながら均一に練り広げることになる。
4. レバーを元に戻すと、圧盤が倒れて開き、印刷された紙を取り出せる状態になる。
5. 同時に、インクローラーが下方へ移動しながら再び活字面にインクを塗り、下部まで戻る。
この一連の往復運動により、 手動でありながらスムーズで連続的 な印刷が可能となっている。ただ給紙と印刷、排紙を手動で行う為、多くを刷るのは大変だっただろう。
広告の機械のサイズは幅が5 1/4インチ(=5.25インチ)なので13.335 センチ、長さが7 1/2インチ(=7.5インチ)であるから19.05センチとなる。底面積だとだいたい A5判程度 の寸法であろう。
「Chase, 2 x 3 1/4 inches」と、チェイス(版面)のサイズが書いてあるが、5.1×8.3cmは、 名刺(5.5×9.1cm) がちょうど印刷できるサイズの最も小さなジュニア機なのだろう。
広告をみると 3 × 5 インチと、5 ×8 インチの機種もあり、5×8インチは12.7 × 20.3cmであるから、 A5判 (14.8×21.0cm) より一回り小さく、 B6判 (12.8×18.2cm) に近い大きさだ。
3×5インチの方は A7判 (7.4×10.5cm) より少し大きいが、小さな 「ハガキ未満(名刺〜情報カード)程度」 のサイズに対応するのだろう。
(2)ケルシ―印刷機の販売と値段
ケルシ―印刷機は1872年 にコネチカット州Meridenで、William・A・Kelsey が創業した。
1830年頃から印刷機は小型化し、ビジネスマン向けに販売され街の印刷屋に依頼せずに家庭でも印刷できるようになっていた。
1850年代後半に英国 ではパーラープレス という小型印刷機が販売された(当時の英国では屋敷にパーラーがあり、そこは趣味や社交の場であった。訪問客はパーラーで名刺を出すので、パーラー・カードを印刷する需要があったのだ)国際印刷博物館のYouTube動画より 。
この印刷機は単純な圧着式で版画を作る要領の印刷機で、凸版にインクを塗布して、紙を挟んでフタをしてレバーで締めて紙に圧着するものである。
そして、1870年代 は玩具的なアマチュア向け卓上印刷機が多く発売されていた。印刷業界に革命をもたらした「エクセルシオール」 モデルをはじめケルシーの信頼性の高い印刷機は、愛好家や小規模な印刷業者にとって歓迎され、1990年まで生産された国際印刷博物館のYouTube動画より 。
印刷機のサイズは 3 × 5 インチ から 9 × 13 インチ (A4判程度)まで複数取り揃えていた。カタログを見ると、インクやカードなどの消耗品のほか、活字ケース・活字・記号や模様・様々なフォント・カットに使う凸版・題字の金属版なども掲載されており、追加で揃えることが可能であった。因みに 3 × 5 インチ機は27.36ドル、9 × 13 インチ機は198.75ドルであるが、これは1946年当時の価格であるKelsey Printers' Supply Book ,1946 Public Domain 。
ケルシーは、単なる印刷機の設計者・製造者にとどまらず、広告とマーケティングの達人 だった。キャッチーなスローガンや巧妙なプロモーション の才に長けていた彼は、『The Youth’s Companion』 といった少年向け雑誌 の巻末広告 を通じて、夢を抱く少年たちを購買の対象にすることで、「エクセルシオール」を著名な商標へと育て上げた。
広告には彼が描いた印刷機のイラスト が掲載されている。惹句には「BOYS!(少年たちよ!)」 、そして「Print cards with this press and Make Money(名刺やカードを印刷してお金を稼ごう)」 と書かれている。広告画像のものは印刷機単体が12.95ドル 、活字・活字ケース・インクなど備品一式がセットになったものが15.95ドル であるKelsey Printers' Supply Book ,1946 Public Domain 。
これはどのくらい高価なものであったのか?
消費者物価指数(CPI)基準 で換算すると、1870年の1ドルは、現在の約25〜26米ドルに相当するから、本体は約330〜340ドル (現在の日本円で約5万円前後 )、総合セットは約400〜410ドル(現在の日本円で約6万〜6万5000円前後)となる。
なお、消費者物価指数よりも実感が高いといわれる、当時の「労働価値・所得基準」 で換算すると、1870年代のアメリカでは、未熟練労働者の日給が約1.25〜1.50ドル、熟練職人(大工など)でも日給2.50〜3.00ドル程度だった。
また、平均的な年間所得は350〜400ドル程度である。つまり13〜16ドル は「労働者の半月分〜一ヶ月分近い手取り給与」 に匹敵するので、現代日本の感覚(月収25万〜30万円程度)に引き直すと、15万〜20万円相当 の高価な趣味・実用機器という感覚になる。
現代に於いて、ノートパソコンとプリンターを購入する程度 には高価であったのだろう。
よって、初期投資としては子どもの小遣い(数セント〜数十セント)で気軽に買えるおもちゃではなく、「親にお金を出してもらうか、あるいは自分で印刷請負の小ビジネス(名刺・チラシ作成など)を始めて元を取るための本格的な投資教材・小型生産設備」 という位置づけの価格設定と考えられるだろう。
ケルシ―の天才性は、機械を売るのではなく、「創造性と自立」 というビジョンを売り込み、冒険と利益の約束で、志ある印刷業者たちを魅了した点にあったという。B.O.ウッズ、ジョセフ・ワトソン、J.クック・アンド・カンパニー、カーティス・アンド・ミッチェル といった競合の印刷機メーカーを買収することで、営業手腕を原動力とする印刷機の帝国を築き上げ、エクセルシオールを市場で最も長く愛され続けた印刷機として定着させた国際印刷博物館のYouTube動画より 。
第3節 米のアマチュア出版と英のプライベート・プレス運動
(1)アマチュア出版(アマチュア・ジャーナリズム)
1870年代から1900年代初頭にかけてアメリカで爆発的に興隆した「アマチュア・ジャーナリズム運動」 (自称 Amateurdom ないし 'dom=『ドム』 )の参加者は12~20歳で中産階級の白人少年 が中心だった。
アマチュア新聞を制作する動機は金銭的なものではなく、「自己啓発、楽しい気晴らし、そして独自の組織の発展」 のためだった(ruman,1947) 。
通常は10代の若者によって発行されていたが、時には7歳の子供 までもがアマチュア出版物に寄稿していたAmateur Newspapers 。
アマチュア新聞には一般的に、社説、短編小説、詩、言葉遊び、ジョーク、地元のニュース、そして他のアマチュアジャーナリストに関する多くの論評 などが掲載されていたAmateur Newspapers 。
アマチュア・ジャーナリズムに於いて、米国で最初の少年のアマチュア新聞は、1805年から1806年 にかけてニューヨーク市で14歳 のジョン・ハワード・ペインが発行した『テスピアン・ミラー』 であるというAmateur Newspapers 。
また、別の説ではトマス・G・ ジュニアによる『ジュブナイル・ポートフォリオ・アンド・リテラリー・ミスカレニー』 だとHarrisonはいう。アマチュアジャーナリストたちが「不朽のカンディ」 と呼ぶこの14歳の少年 は、肺結核に苦しんでいたが、1812年10月17日から5年間にわたり、定期的に新聞を発行し続けた(Harrison,1883) 。
どちらにしても1890年代(明治23年以降)以降になってから日本では明治青少年の雑誌が発行されるため、かなりアメリカのほうが先行している。
日本は漢詩文が中心であったから、漢字を印刷することが必要である。英数字と記号のみで済む欧米とは、版面作りの点で非常にハンディが大きかったのである。
また、アメリカで近代的郵便制度が確立したのは1792年であるが、そのころの日本はまだ江戸時代中期(寛政の改革期)であるので「飛脚」 が配達している時代でアマチュア出版物を移動させる時代ではない。
初期の新聞は、手書き 、プロの印刷業者が印刷 、あるいは自家製の印刷機による印刷 という、3つの方法のいずれかで作成されていたと考えられるAmateur Newspapers 。
アマチュア新聞の流行期にはKelsey 社などの卓上活版機("Novelty press")が発売されたので、これに依って自宅で発行する小新聞を印刷し、郵便 で全国の同輩と交換 をしていた。
1869年の9月18日に、ニューヨークの出版社チャールズ・スクリブナー氏の邸宅で、全国のアマチュア新聞の発行者会議が招集された。
J・B・スクリブナー氏が議長に、Wm・L・ターフーン氏が書記に選出され「アマチュア印刷業者協会(AMATEUR PRINTERS' ASSOCIATION)」 として組織化され、アマチュアジャーナリストによる最初の組織が誕生した(Harrison,1883) 。
(2)プライベート・プレス運動
同時期の英国 では、ウィリアム・モリスらが「ケルムスコット・プレス」 を設立し、機械化への反動として、手漉き紙や手作業による製本を重視する「プライベート・プレス運動」 を展開した。これは情報の普及よりも、本そのものを芸術作品として捉えるアプローチであったA brief history of the Private Press Movement 。
米英のプライベート・プレス運動と若者のアマチュア出版(アマチュア・ジャーナリズム)は、どちらも19世紀後半に隆盛を極め、「営利を目的としない個人による出版」 という点では共通しているが、その目的、主体、技術的アプローチにおいて明確な違いがある。
1. 目的と理念:芸術性の追求か、コミュニティの形成か
プライベート・プレス運動 : ウィリアム・モリスらに代表されるこの運動は、安価な機械製本への反発から生まれたThe Private Press Movement in Britain and America 。
本を単なる情報伝達の媒体ではなく「芸術作品」 と見なし、中世の伝統的な手仕事(手漉き紙、独自の活字、手作業による製本)を復興させることで「美しい本(Book Beautiful)」を作ることを目的としていたA brief history of the Private Press Movement 。
若者のアマチュア出版 : こちらは10代の少年たちによる**「最初のティーンエイジャー・サブカルチャー」として発展したA product of the "amateur press" 。
やはりこれは日本の青少年が行った文芸結社や趣味の団体作りと、その機関雑誌の発行と相似な文化であると筆者は考える。
主な目的は、創作を通じた「自己研鑽」や「仲間との交流」 にあるAmateur Newspapers 。
出版物そのものの美しさや、発行の趣旨・意見の表明よりも、交換や文通によって形成される「擬似的な共同世界(アマチュア・ドム)」に参加すること自体の方が重要視されていたというThe Emancipation of Boyhood 。
2. 主体となる層の違い:芸術家・名士か、10代の少年か
プライベート・プレス運動 : 主に英国の芸術家、熟練の職人、あるいは裕福な有閑階級(カントリー・ハウスに住む紳士など)によって担われていたThe Private Press Movement in Britain and America 。
彼らは多大な時間と費用をかけて一冊の本を仕上げる余裕があるのだったThe Private Press Movement in Britain and America 。
若者のアマチュア出版 : 主役は11歳から21歳までの「少年編集者・記者」 であるThe Emancipation of Boyhood
。
彼らは中産階級の家庭の子供たちで、自分の寝室や食堂の片隅に小さな印刷機を置いて、出版 活動をしていたのであるThe Emancipation of Boyhood 。
3. 技術と品質:最高級の素材か、手頃なホビー機か
プライベート・プレス運動 : 最高品質の素材(手漉き紙、伝統的なインク、特注の活字)を使用し、採算を度外視して発行物は制作されたThe Private Press Movement in Britain and America 。
例えば、モリスのケルムスコット・プレスでは、巨大で重厚な手動印刷機が使われていたというA brief history of the Private Press Movement 。
若者のアマチュア出版 : ベンジャミン・O・ウッズが発明した「ノベルティ・プレス」のような、安価で小型の「ホビー印刷機」 の普及が活動を支えていたA product of the "amateur press" 。
紙質も、保存性よりも手軽さが優先されることが多く、製造された雑誌は多くは短命なエフェメラ(=目的は一時的だったが後世に残った印刷物の事)となったA product of the "amateur press" 。
4. 成果物の形態:豪華な本か、ミニ新聞か
プライベート・プレス運動 : 古典の復刻や自作の詩集など、豪華な装丁や製本が施された「本」 が主な成果物だったA brief history of the Private Press Movement 。
若者のアマチュア出版 : 簡単に印刷できる「アマチュア新聞」や「マガジンレット(小さな雑誌)」と呼ばれる、数ページの薄い冊子や新聞形式が一般的だったA product of the "amateur press" 。
内容は社説、短編小説、詩、パズルに加え、他のアマチュア仲間への批評が誌面の多くを占めていた。
5. まとめ:
プライベート・プレス運動は 「産業革命への抵抗としての芸術運動」であり、若者のアマチュア出版 は「安価な技術によって可能になった初期のソーシャル・メディア的ネットワーク」 であったと言えるThe Private Press Movement in Britain and America 。
第4節 複写技術の三種の神器:hectograph / mimeograph / spirit duplicator
19世紀末から20世紀初頭にかけ、家庭・小規模組織でも扱える複写技術が相次いで実用化された。これらは後のアマチュア出版の物質的基盤となる。
(1)Hectograph(ヘクトグラフ・ゼラチン版/ゲル版)
アニリン染料で書いた原稿をゼラチン板に転写し、そこから数十部を刷る最も安価な方法(日本でいう「蒟蒻版」 )。Marion Zimmer Bradley のファンジン Astra's Tower のような実例が残る UMBC Special Collections
(2)Mimeograph(ミメオグラフ・謄写版・ガリ版)
トーマス・エジソンの特許(1876年頃)を A. B. Dick 社が製品化。タイプライターや鉄筆で孔版(stencil) の刷版を整版して、インクを充填したドラムに巻いて印刷する。数百部規模の複写が可能となり、オフィス・学校・教会に普及した。
(3)スピリット複写(Spirit Duplicator(Ditto machine))
Wilhelm Ritzerfeld が1923年に発明。カーボン紙状のマスターから特徴的な紫色 のコピーを40〜50部程度刷る方式で、「ditto」 は機器のブランド名が普通名詞化したもの。安価だが耐刷部数が少なく、極小部数のファンジンに愛用された Northeast News / University of Iowa Libraries
整版(=同時に刷版ができる)方法だが、原紙(マスター)は三枚で構成されている。一枚目はマスター 。二枚目はアニリン染料(着色ワックス)を含んだ専用のシート (カーボン紙のようなもの)。それが保存時にくっつかないためのセパレートシート だ。
例えば二枚を重ねてタイプライターで文字を打てば、圧力でインクが一枚目の裏の転写される。見出しは型を抜いたテンプレート定規があるので《英数字は36個で済む》、定規を使用して上からなぞればよい。
マスターに文字や絵を書いたら、それを印刷機(ハンドルが付いている)の金属ドラムに巻きつける。印刷機にはタンクがありそこに専用のスピリッツ液 を入れて置く。
印刷される紙は機械に入ると、スピリッツで湿らせられる(タンクにはフタがあり、フタを下にしてセットしておく。フタには日本の「手水鉢」 方式の栓があるので,止水栓が上がった時だけフタが開放されてスピリッツが出る仕組みである)。その湿った紙に文字にインクが付いたマスター原紙のドラムをローラーで巻いて押し当てることで、インクが転写されて出てくる。100〜数百部を印刷する最も安価な簡易印刷法である。
「スピリッツ」 の名前の由来は、「インク」として使用される溶剤の主成分であったアルコールを指している。イリノイ州のデットー社が製品を作ったが、英国ではブロック&アンダーソン社が「バンダ」ブランドで製造した。
1970年代以降に大量の複写・印刷が可能なゼロックス が登場し、この印刷法は衰微した(刺青技術者や電気がない場所等で生き残ったが)。
海外では学校の印刷物(連絡・テスト)に使用されたので、藍色のインキとアルコールの匂いに思い出を持つ人が多いというが、日本では何故か「謄写版」のみ普及して「スプリット・デュプリケーター」は一般化しなかったのである(オフィス機器として販売はされていた。未見なだけで家庭用もあった可能性はある)。
第3章 1930年代:SFファンジン文化と謄写版
第1節 mimeo文化の定着
1930年代のSFファンジン の多くは mimeograph("mimeo") で印刷され、部数は数十部から数百部、ほとんどが販売ではなく交換・配布であった Vice 。Hellekson (2023) が指摘するように、「最初の本格的ファンジンが登場した1930年時点で、ファンジン複写の様式(hectograph・ditto・mimeo)はほぼ出揃っていた」 Univ. of Akron 。1935年の Fantasy Magazine (D. R. Welch / William Crawford 系)のような例を含め、1930年代のファンジン実物コレクションが現在もアーカイブされている First Fandom Experience
第2節 謄写版印刷のZine
1940年代にファンジンを作るやり方としては、自分の愛読している作品に対して、オリジナルのファンコンテンツを手書き で執筆し、謄写版印刷機を購入して、郵便やクラブ、あるいはコンベンションを通じて配布する計画を立てるほど情熱が必要だった。
次に、タイプライター を使用して、ワックスでコーティングされた原紙(繊維質の用紙)にステンシルの要領で文字を打ち込む(タイプのキーはステンシルのコーティングを切断し、繊維のベースを露出させるため、インクが透過するのを可能にする)。
イラストを入れる場合はスタイラス(鉄筆) を使ってフリーハンドでステンシルの技法で原紙に絵を刻む必要もあった。ミスをした場合は、専用修正液 で上から打ち直す。印刷することでZineのページが完成する。
第4章 1960年代:ゼログラフィの登場とアンダーグラウンド・コミックス
第1節 Xerox 914(1959年)の衝撃
1944年に初の複写機ゼロックス機 が作られたが、実用的なものとしては、1959年、Haloid/Xerox 社 が普通紙自動コピー機 Xerox 914 を発売した。月産10万枚の能力を持つこの機械は複写・簡易印刷の文化を一変させたが、価格が数千ドルと高額だったため、個人は職場や大学に設置されたコピー機に依存 した——これが「会社のコピー機でこっそり刷る」 というDIY出版の倫理的な曖昧さと美学を生んだという Smithsonian / UMBC Special Collections
第2節 小ロット・オフセットと underground comix
1960年代後半、オフセット印刷技術の小口化により、小規模出版社や個人の漫画家でも少部数で採算の取れるコミック出版 が可能になった。これを技術的背景として1968年頃から underground comix が勃興する(Robert Crumb の Zap Comix 第1号、1968年) The Comics Journal
注目すべきは、この運動が自前の印刷インフラ を伴っていた点である。
(1)The Print Mint
サンフランシスコのポスター印刷所兼出版社。Jay Lynch の Bijou Funnies を出版するなど、初期 comix の印刷・出版を担った。しかし収益配分と制作主導権を巡る対立から、Denis Kitchen らが離脱して自主出版に転じた。
(2)Rip Off Press
1969年1月、Gilbert Shelton、Jack Jackson、Dave Moriarty、Fred Todd の4人が資金を出し合い、中古の Davidson 印刷機を購入 して Don Donahue のロフトに据え、Print Mint に対抗する出版・印刷拠点とした。創刊出版物は The New Adventures of Jesus 。作家自らが印刷機を所有するという形態は、日本の同人作家が専門印刷所に外注するモデルとの興味深い対照をなす The Comics Journal
第3節 流通の脆弱性と衰退
Comix の主流通路は head shop(ドラッグ関連グッズ店) であったが、1973年の連邦最高裁 Miller v. California 判決(わいせつ基準の地域化)により店側が取扱いを恐れて撤退し、流通を失った comix は1970年代半ばに衰退した。印刷技術が可能にした出版革命が、流通という別のボトルネックに左右された好例である The Comics Journal
第5章 1970〜80年代:パンク・Zine とコピーショップ文化
第1節 Kinko's とコピーショップの民主化
1970年、Paul Orfalea がカリフォルニア大学サンタバーバラ校近くの Isla Vista に小さなコピー店 Kinko's を開店した(開業資金5,000ドル)。1985年には24時間営業店を開始し、誰でも低価格でコピー機を利用できる環境が整った。「copy shop が公衆に安価な複写手段を開放した」 ことが、その後のZine量産の条件となった Company-Histories.com / Punktuation
第2節 パンク・ファンジンの爆発
安価なDIY性は punk rock の精神 と直結し、1980年代までに Zine 文化はパンクと強く結びついた University of Maryland LibGuides
(1)Sniffin' Glue(1976年、英国)
Mark Perry が1976年7月に創刊した英国パンクの代名詞的ファンジン。マジックペン、タイプライター、ガム(糊)による切り貼りレイアウト で制作され、約1年間に12号が刊行された NOAH / Wikipedia
(2)Maximumrocknroll(1982年、米・サンフランシスコ)
1977年のKPFAラジオ番組を前身とし、Tim Yohannan らが1982年に紙版を創刊。ハードコア・パンクの国際的機関誌となり、2019年まで紙版 が続いた SFGate
(3)Flipside(1977年〜、米・カリフォルニア)
コピー機刷り のファンジンから出発し、後にウェブオフセット印刷・光沢表紙の雑誌 へと発展した——Zine の「商業化の境界線」を示す代表例である Wikipedia: Flipside )
第3節 Factsheet Five とZineの「メタ・インフラ」
1982年、Mike Gunderloy が自室の spirit duplicator で50部 刷ったレビュー誌 Factsheet Five を創刊した。全国のZine・セルフパブリッシュ物を批評・紹介するこの誌は1991年までに44号を刊行し(後に R. Seth Friedman が1998年まで継承)、孤立したZine制作者同士を結ぶ相互交換コミュニティの基盤となった。ガリ版・ditto(スピリッツ複写機) の時代の技術が、コピー機全盛期 にも極小部数メディアの手段として併存していた点は興味深い Wikipedia: Factsheet Five 及び Half Letter Press
第6章 1990年代〜2000年代:Riot Grrrl、DTP、そしてデジタル印刷
第1節 Riot Grrrl とフェミニストZine
1980年代末〜90年代初頭、Bikini Kill や Bratmobile ら女性主導バンドを核とする Riot Grrrl 運動 が起こり、Queenie 、Heck 、Yummi Hussi 、Mad Planet など多数のZineが運動の主要メディアとなった。コピー機+切り貼りの美学 はそのままに、テーマはフェミニズム・身体・性暴力被害の告白などへと拡張された JSTOR Daily / Duke University LibGuides
第2節 デスクトップ・パブリッシング(DTP)
1980年代後半の Macintosh と PageMaker による DTP の普及 は、製版・組版を家庭に持ち込み、Zine の「プロっぽさ」の基準を引き上げた。コピー機切り貼り美学(cut-and-paste)との意識的対比も生まれた。
第3節 デジタル印刷とPODの到来(Ka-Blam の意義)
2000年代に入るとデジタル印刷機 の品質向上により、製版なし・1部からのオフセット同等品質印刷が実現した。第1章で見た Ka-Blam(2005年設立)が「フルカラーの small press comic は事実上存在しなかった」 状況を打破したことは、印刷所がコミュニティの要請から生まれ、コミュニティの経済構造(在庫リスクの解消)を変えた 事例として、日本の同人誌印刷所の発生と平行的な意義を持つだろう Ka-Blam公式
第4節 作り方のTips
本節は直接、印刷とは関係がない項目もあるが「HOW TO MAKE A ZINE」(https://www.zinebook.com/resource/zinetips.html#technical )をみると、米国のZine発行者が置かれた状況や注意すべき点が、日本とはかなり異なるので、ここに紹介したい。
(1)版面
・文字を小さくし過ぎると読みにくくなる。テキストを白い背景に配置する
・一般的にセリフ体(明朝) の方が読みやすいとされている
・強調するためには、文字サイズやフォントを変化させる
・段落やページの上部または下部に単独で残る1行 のテキストは避ける
・本文全体をすべて大文字 で書かない。非常に読みにくくなる
・ページ全体に広がるテキストよりも、段組み のテキストの方が読みやすい
・まず最初に目に入るのは人物の顔 。顔の中でも最初に目が行くのは目
・顔はページの外ではなく、ページの中央 を向いているべき。車、馬、犬なども同様。動いている場合は前方に余白 を確保する
・視線は線に沿って移動するから、線がどこに向かっていることを確認する。フレームに対して斜めに走る線は刺激的 。曲線は動き 、下向きに曲がる線は悲しみ を、上向きに曲がる線は喜び を表す
・コピー機で複写する場合は、網掛けのない広い黒の領域(ベタ) を避ける。中心部に向かって白く写ってしまうことがある
・印刷する場合は、線が非常に細いイラスト は避ける
・印刷用のカラーイラストは白黒に変換する。青色は消えてしまうことがよくあり、赤色は黒く変色する場合がある
・バナーは上部 に配置するか、左側 に寄せる
・可能であれば、常にテキストと画像 を組み合わせて使用する
(2)印刷
・印刷会社は、余分な枚数を印刷するが余分な部数に対しては最大10% の追加料金を請求する会社もある
・500部 を超える印刷の場合、コピー機で複写するよりも印刷した方が安くなる
・複数社 から印刷の見積りを取ること。設備の種類によって大きく異なる。大型印刷機によるタブロイド判の印刷は、枚葉印刷による普通紙の印刷に比べて約半分の価格で短時間。
・新聞用紙 は最も安価な紙。この紙には、厚さや白さの違いがいくつかある。印刷部数が増えるほど、1,000部あたりの単価は安くなる
・少部数の場合は、カラーコピーではなく、手彩色 や色紙 の使用を検討する
(3) 郵送
・封入費用と手間を削減できるよう、裏表紙 を郵送用封筒に活用することを検討する
・受刑者やその他のグループへの配布が無料であるかどうかを明記する
・重量 と郵送料 に応じてZineのサイズを計画すること。12ページのハーフサイズZineの郵送費は0.32、24ページは0.55、36ページは0.78です。これらのサイズが郵送料を最も有効に活用できる何も考慮せず100ページ ものZineを作成しない
・米では大量発送(Bulk Mail) を利用すると、郵便料金の約3分の1を割引 できる(一括料金で送るには、郵便物を仕分け・束ねておく必要がある、1回の郵送につき200通以上であること)
(4)販売
・お金そのものではなく、送料を請求するようにする
・海外からの現金や小切手は、送金処理が容易ではないことに注意、この方法で支払いを受け入れる前に、銀行手数料 を確認しておく。海外の読者にはIRC(国際返信切手) の送付を依頼する
・新聞販売スタンド での視認性を高めるため、フルサイズの縦長 フォーマットを活用する。不定期に発行する場合は、表紙に日付 を記載しない。たとえ最新号であっても、日付が古いとZineは棚から外される
・返品 については、表紙のみ を受け入れる準備をしておく
・請求書 を送らないと支払いはない
・他のZineで見かけたすべてのディストリビューター をリストアップする。すでにZineの発行を受け入れているので設置可能。通常、個人からの仕入れはしないため大手チェーン店は避ける
・米国議会図書館 から正式なISSN を取得すると、図書館が積極的に購入してくれるようになる
(5)発行にあたっての注意
・ZINEが発行されない場合は、投稿作品を返送 するか、説明 のハガキを送ること。寄稿者は、ZINEと引き換えに作品を送っている
・すべての寄稿者の氏名と住所 を掲載すること
・特に表紙には、手彩色 、ステッカー、ゴム印、番号 や日付 、署名、あるいは個人的なメッセージ など、手作りの温かみを感じさせる工夫を取り入れてみる
・作品に著作権を主張しない、「自由に複製可」 、「アンチ著作権」 といった表記を使用する*2 。迷う場合は、「出版後、著作権は寄稿者に帰属する」 と明記する*3 。複製を許可することで、文章やアートは他のZine に取り上げられ、流通範囲が広がる。また、「この素材が掲載された出版物のコピーを送ってください」 *4 や「出典を明記してください」*5 という文言も記載する
・著作権で保護された素材は使用しない
・定期発行 の計画を立て守ること。最初は不定期発行や、「単発号」も良いアイデア。様々な形式や出版スタイルを試す
・誌面で他人を攻撃 しない。書評の内容や口調 には注意を払うこと。決して人間関係 を壊さないようにしましょう
・性別 、人種 、国籍 、その他の境界線に対して配慮を示す。地球の反対側 で誰が封筒を開けているか、あなたにはわからない
・読者の反応を引き出したい場合は、文章やイラストを募集 したり、書評 、アンケート 、コンテスト を実施したり、広告交換 を行うことを検討する。読者にあなたへ手紙を書くきっかけとなる
・購読料の収入 を前提とした計画を立ててはいけない
・女性の場合、性差別 やハラスメント を防止するため可能であれば、性別が判別できないハンドルネーム を選ぶ。特にメールにおいて重要。私書箱 の利用も検討する
・ZINEに電話番号 を掲載すると、あなたの番号に課金しようとしたり、嫌がらせをしようとする者によって悪用される 可能性がある。代わりにボイスメールや電子メールの利用を検討する
・他者は、あなたの意図 とは大きく異なる 方法であなたの記事を解釈する可能性がある。様々な人のリストを公開することは素晴らしいアイデアだが、悪意 のある者の手に渡れば嫌がらせ につながる恐れがある。皮肉 を込めた記事も誤解 される可能性があるので注意する。
・受刑者 の中にもネットワーク活動者は存在している。彼らは何らかの理由で服役しているから、情報を公開する際はその量や種類 に注意を払うことをお勧めする
(6)ZINEと遵法
・他国に送る際、郵便物はほぼ確実に検査される ことを念頭におく。郵便に関する規制について事前に確認しておく
・掲載内容に疑わしい場合があるときは、21歳以上であることを確認する声明を投稿者から求める 。さらに安全を期すために、写真付き身分証明書の提示を求める
・掲載物には、「本コンテンツは編集部の見解を表すものではなく、教育または娯楽目的でのみ提供されています」 といった、免責事項を予め記載しておく*6
・在住州で定められている「コミュニティ基準」 *7 を理解し尊重する。郵便検査官(Postal Inspector) は権限の強い役人であり、疑わしい郵便物はすべて独自の権限で隔離・検査・開封する
・性的な内容 は郵送物の表紙に載せないか封筒に入れて送る。封筒を使用しない場合は、端をホチキスで留める。さらに安全を期すために、不必要に検査されないアメリカ郵便公社の「ファーストクラス」 で送る。安い郵送料の種類だと開封される可能性がある*8
・法律違反 の疑いをかけられた場合、あなたのZineや文章が違法行為の証拠 となる可能性がある
・違法行為 の手順や助言は与えないこと。情報は、教育目的、場合によっては娯楽目的でのみ提示してください
・CIA やその他の機関は、特定の出版物を精査 し、追跡 ている可能性が高い。ネットワーク参加者の氏名や住所、およびその活動を公開する際は、この点に留意する
・おとり捜査 に注意。もし誰かから「小児性愛」 関連の資料のカタログが送られてきた場合、それはおとり捜査である可能性が非常に高い。好奇心 から疑わしい資料を注文してはいけない。そのような資料を所持したり、郵便で受け取ったりすることは違法である
本節は全て『Zinebook』のHOW TO MAKE A ZINE を参照した。
『Zinebook』というサイト(https://www.zinebook.com/resource/zinetips.html#technical )に掲載されたテキストであるが、元資料の出典について「かつてアシュリー・パーカー・オーエンズ(Ashley Parker Owens)が運営していた『Global Mail』に掲載されたもの(1995年執筆)」 と記されており、号数はGlobal Mail (Sept.-Dec. '95) と表記されている。
孫引きになるため、原典を確認した。インターネット上で『Global Mail』12(1995年9月–12月)を確認したところ、Zineに関する断片的な情報は散見されるものの、『Zinebook』に転載されている「Layout」「WARNINGS」「Text」といった項目の記載は見当たらなかった。しかしながら、同サイトには「Anti-copyright 1995.」 との表記があることから、本稿では同サイトの記述に従い、原出典として、
Ashley Parker Owensおよび『Global Mail』1995年
と明記する。
なお、この第4節はアメリカにおけるアマチュア出版の留意点(免責事項)などを伝える資料として日本と異なる点が興味深く、引用の範囲を超えて翻案(翻訳紹介)している。
著作権法上の主従関係を欠くため、将来的に単行本化する際には削除する予定である。
第7章 2010年代〜現在:Risograph リバイバルとZineフェア文化
第1節 リソグラフ の技術史(日本からの輸出)
Risograph は理想科学工業(Riso Kagaku) の製品である。同社は1958年にロータリー謄写版機「RISO-GRAPH」を完成させ、1980年に初のプリンター・デュプリケータ AP7200(デジタル孔版印刷機)を市場投入した。スクリーン印刷とコピー機の中間のような特性を持つ RISO公式 / Goldtop 。
第2節 欧米におけるRisoリバイバル
本来はオフィス向け 高速複写機だったこの機械を、アーティスト が表現メディアとして再発見したのが2000年代末〜2010年代の動きである。2009年にロンドン の Ditto Press が英国初のRiso専門会社として創業したのが象徴的で、続いて Issue Press (2011年〜)、Secret Riso Club 、Footprint Workers Co-op など、スタジオ兼コミュニティ拠点が米英各地に開かれた(第1章第3節の表参照)。「stencil.wiki」に世界的なRisoスタジオ目録が整備されるほどのネットワークを形成している stencil.wiki
第3節 Zineフェア/アートブックフェアとの共生
LA Zine Fest 、NY Art Book Fair(Printed Matter 主催) 、各地の comicon を始めとする即売・交換イベントが常設化し、RisoスタジオやPOD業者はそこへ出品する制作者の「締切に合わせた印刷」 に応需している。
つまりイベント応需という構造は日本のコミケと同型 であり、違いは印刷所がイベント運営と直接提携するか(日本型)、汎用ウェブ発注で吸収するか(欧米型)にあると整理できる。
第8章 総括:欧米アマチュア出版印刷史の系譜
時代
主要技術
代表的運動・媒体
印刷インフラ
1870s–1920s
小型活版・hectograph
amateur journalism(NAPA/UAPA)
個人所有の卓上活版機
1930s–50s
mimeograph / spirit duplicator
SF fanzines(The Comet 、The Planet 、FAPA)
中古謄写版機の個人所有
1960s
小ロット offset・Xerox 914
underground comix、CAPA-alpha
Print Mint、Rip Off Press(自前印刷機)
1970s–80s
photocopier・copy shop
punk zines(Sniffin' Glue 、Maximumrocknroll )
Kinko's 等のコピーショップ
1990s
DTP・コピー機
Riot Grrrl zines、Factsheet Five 系ネットワーク
copy shop+家庭PC
2000s
デジタル印刷・POD
indie comics
Ka-Blam、Comix Wellspring、Lulu
2010s–現在
Risograph・デジタル併用
zine fair 文化、アートブック
Ditto Press、Issue Press、各種Risoスタジオ
欧米の特徴は、「印刷所」よりも先に「技術の民主化」(複写機・コピーショップ・家庭PC)が文化を駆動 してきた点、そして専門印刷サービスは比較的後発(2000年代以降)で、コミュニティ需要から自生的に立ち上がった点にある。日本の同人誌印刷所が「イベント即売会経済」に最適化された専業サービスとして早期に発達したのとは対照的な経路であるが、21世紀に入り両者は機能的に収斂しつつある ——というのが本調査の結論である。
参考文献・参照URL
Ka-Blam Digital Printing, "About Us" — https://ka-blam.com/main/about-us/
IndyPlanet — https://www.indyplanet.com/what-is-print-on-demand
The Comics Beat, "Comix Wellspring suspends operations" — https://www.comicsbeat.com/indie-comic-creators-left-in-limbo-as-comix-wellspring-suspends-operations/
Ex Why Zed — https://exwhyzed.com/ ; Mixam — https://mixam.com/zines ; Greenerprinter — https://www.greenerprinter.com/products/short-run-book-printing
Footprint Workers Co-op — https://www.footprinters.co.uk/
People of Print, "Ditto Press" — https://peopleofprint.com/general/ditto-press/ ; Hackney Citizen — https://www.hackneycitizen.co.uk/2013/01/16/ditto-press-dalston/
Issue Press — https://issue.press/about ; Secret Riso Club — https://www.secretrisoclub.com/about-us
UMBC Special Collections, "Production of Zines: Printing Methods" — https://library.umbc.edu/specialcollections/fanzines/the-coslet-sapienza-fantasy-and-science-fiction-fanzine-collection/production-of-zines/printing-methods/
University of Iowa Libraries, "Spirit Duplicators…" — https://blog.lib.uiowa.edu/speccoll/2021/07/23/spirit-duplicators-early-20th-century-copier-art-fanzines-and-the-mimeograph-revolution/
Wikisource, "United Amateur Press Association: Exponent of Amateur Journalism" — https://en.wikisource.org/wiki/The_United_Amateur/September_1915/United_Amateur_Press_Association:_Exponent_of_Amateur_Journalism
SF Encyclopedia, "Fanzine" — https://sf-encyclopedia.com/entry/fanzine
Hellekson, K. (2023) "Fandom, Fanzines, and Archiving Science Fiction Fannish History" — https://ideaexchange.uakron.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1217&context=docam
Smithsonian Magazine, "How the Photocopier Changed the Way We Worked" — https://www.smithsonianmag.com/history/duplication-nation-3D-printing-rise-180954332/
The Comics Journal, "The 50th Anniversary of Underground Comix" — https://www.tcj.com/the-50th-anniversary-of-underground-comix/
Company-Histories.com, "Kinko's Inc." — https://www.company-histories.com/Kinkos-Inc-Company-History.html
University of Maryland LibGuides, "History of Zines" — https://lib.guides.umd.edu/c.php?g=1378775&p=10803201
Wikipedia: Sniffin' Glue / Flipside ) / Factsheet Five / CAPA-alpha / Risograph
Duke University LibGuides, "History of Zines" — https://guides.library.duke.edu/zines/history
RISO Kagaku, "History of RISOGRAPH" — https://www.riso.co.jp/english/product/digital_dup/history/index.html
First Fandom Experience — https://firstfandomexperience.org/2019/04/07/what-are-the-sf-fanzines-of-the-1930s/amp/