- はじめに:ファンタ・ゴールデン・アップル存在証明論
- 第1章:物的証拠の限界へ反論
- 第2章:企業公式見解には限界がある
- 第3章:記憶の集合的な証拠について
- 第4章:ゴールデン・アップル販売の可能性
- 第5章:なぜ「ゴールデン」を冠するのか
- 第6章:発見されたゴールデン・アップルの文献
- 第7章:資料からどこまで言えるか
- 第8章:仮説としての「黒歴史」説
- 第9章:結論
- 資料の扱いについて
- 参考文献
はじめに:ファンタ・ゴールデン・アップル存在証明論
都市伝説やマンデラ効果では片づけられない
筆者には、昭和50年頃、千葉県の利根コカ・コーラボトリング販売地域で「ファンタ・ゴールデン・アップル」の500ミリリットル瓶を飲んだ経験の記憶がある(千葉在住、利根コカ・コーラボトリングの製品だ)。
本稿は、この個人的な記憶だけを根拠に販売の事実を断定するものではない。当時の資料、後年に出版された商品資料、複数の証言を照らし合わせ、どこまで言えるのかを考えるものである。
「ファンタ・ゴールデン・アップル」は、2000年代初頭からインターネット上で存在の有無が議論されてきたようだ。2002年には、まさにこの論争を扱う記事が公表され、同年に同名商品が発売されている。*1
その後、ネット上では、日本コカ・コーラ社が「過去に日本国内でそのような製品を販売したことはありません」と回答した、との見解が紹介されるようになった。 《日本コカ・コーラ社は時代ごとに社名変更があるが、本稿が対象とするのは昭和50年前後が中心なので、本稿では地方のフランチャイズを統括する、東京本社すべてを日本コカ・コーラ社としている》
「ファンタ・ゴールデン・アップル」については「都市伝説」あるいは「集団的記憶の錯誤(マンデラ効果)」としてほぼ決着し、ネットでは定説化してしまった様子である。
だからこそ、筆者はここに、かつてない論考をもって反論したい。
ただし、筆者はその公式回答の原文や公式文書を直接確認できていない。 したがって、ここではそれを確認済みの公式声明として扱うのではなく、ネット上で伝えられてきた回答として検討します。
筆者は平成9年に扶桑社から『ザ★ジュース大図鑑』を刊行したが、そこには「ファンタ・ゴールデン・アップル」に関しては論点として記載していない。
当時は、国立国会図書館に通い、飲料業界紙や年鑑から発売データを集めていた。炭酸飲料、果実飲料、粉末飲料、サイダー、果汁飲料、乳酸菌飲料など幅広い分野を扱ったため、すべての商品について同じ密度で調査できたわけではない。ラムネの歴史を掘り起こすだけでも難しく、昭和50年代以降の細部は後回しになりがちだった。
それとともに、筆者自身にはゴールデン・アップルを飲用した記憶があったため、後年になって「そんな商品はなかった」という主張が起こるとは思いもよらなかった。
論点として関心を持たなかった点は、申し訳ございません。 『ザ★ジュース大図鑑』に記載できなかった欠缺を、本稿で補わせてください。 当時は研究も浅く、コカ・コーラの地方ボトリング会社の差異についても強調していない点も同書の欠点です。
長文なので、先に本稿の問題意識を述べておきます。
筆者は「ファンタ・ゴールデン・グレープ」と「ファンタ・ゴールデン・アップル」を、着色料の変更などが続いた時期に登場した、通常の定番商品とは異なる商品群だったのではないかと考えている。
これらが企業にとって失敗作だった、あるいは社内で好ましくない記憶(「黒歴史」)として扱われたのではないか。
日本コカ・コーラ、あるいはその一部の関係者にとって、恥部に近い存在にゴールデン・アップルはなっていたのではないか。
更にタイミングとしても、ゴールデン・アップルが、コカ・コーラ社とその製品をめぐる様々な事件・事故・不祥事が重なった時期に発売されたという因縁こそ、謎を解く鍵になるのではないか。
だが「黒歴史」説は現時点では、裏や確証が確認できない仮説である。 実際に何が起きたのかという事実と、資料が残らない理由についての推測は、分けて論じなければならない。
もちろん、陰謀論という反発が起きそうな「黒歴史」説以外にも、ゴールデン・アップルが存在したことを論考しているので、時間があるときにでもご覧ください
日本コカ・コーラ社の公式見解と各地の販売実態
ネット上で紹介される企業側の否定回答が、仮に正確な引用であったとしても、それだけで地域ごとの販売実態をすべて説明できるかどうかは、回答の対象範囲や参照資料を確認して判断する必要がある。
企業の公式見解は重要な資料だが、社内記録の蓄積状態と網羅性や、担当した社員の回答者が参照した資料の範囲がどの程度だったのかもわからないので、頭から信用することはできかねる。
日本のコカ・コーラシステムは、原液の供給、製品の企画開発、マーケティング活動などを担う日本コカ・コーラ株式会社と、製品の製造・販売などを担う各地のボトラー各社で構成されてきた。
したがって、各ボトラーの販売品目や発売時期を調べる際には、本社の記録だけでは十分といえる担保はなく、地域ごとボトリング会社の社史、製品便覧、広告、容器や王冠なども確認する必要があろう。*2
この点は、各地のボトラーがどの商品を、いつ、どの容量や容器で発売したかを記録している本稿の表にも関わる。
アサヒ飲料や、キリンビバレッジのように、同じブランドの商品であっても、全国すべての地域で同時に発売され、同じ容器構成で販売されたとは限らないのである(もちろん、地域限定販売品はどの清涼飲料メーカーにある)。
とはいえ、地域差があるという一般論だけで「ゴールデン・アップル」も地域限定で発売されたはずなのだということで、この問題を結論に導くことはできない。
個々の地域の記録を掘り起こすことが必要である。
筆者は三十年以上にわたって、日常生活商品の取材や資料調査に携わってきた経験から、企業の広報部門の回答が常に誤りなく、またすべての資料を網羅しているとは限らないと受け止めている。
広報担当者が把握している情報は、担当者ご本人の知識や記憶、過去の社史、社内で参照できる資料に左右されるのだ。
こちらの質問の内容によっては、担当者がすぐに資料を見つけられず、「不明」と回答されることもよくある事であった(あとは担当者の気質次第で、倉庫や古参社員に聞き取りしてくれて事情が判明することもあるし、「宿題にさせて」といわれ後から資料を郵送してくれることもある。稀に、時間的に空いていれとき、専務や社長が同席して呉れる僥倖に恵まれたこともある)。
取材や広報部の担当者が即答できないことを、隠蔽の証拠とみなすことはできない。
企業の記録が散逸した、保存対象にならなかった、合併後に引き継がれなかった、あるいは資料が別の部署や工場に保管されている、といった可能性もある。
本稿において、資料が見つからない理由として隠蔽の可能性を検討する箇所もあるが、隠蔽を示す直接資料がない限り、単なる仮説の域を出ない事は予めご了承ください。
各地のボトラーが発売時期や商品構成を異にしていたことは、筆者自身の経験にも表れている。千葉県在住だった筆者は、子どもの頃、ファンタといえばオレンジとグレープを思い浮かべる。
ところが昭和51年に鎌倉へ修学旅行に行った際、神奈川・静岡・山梨を販売地域としていた富士コカ・コーラボトリングのテリトリーであったためか(当時は地方ボトリング会社制度など小学生は知らないが)、「ファンタ・レモン」が売っている自販機を初めて目にした。
これは個人の体験であるが、各地の商品の発売時期を調べる際には、こうした地域差を確かめることは、特にコカ・コーラ社の場合は大切だと感じた経験である(よって、コカ・コーラ社の商品なのに、全国で同時期に同一容量と包装の商品が発売された様に書かれているブログやnoteは、その点でもう、なんというか……)。
本稿では、当然ながら発売時期に関する全国一律の説明を各地のボトラーにそのまま当てはめない。
確認できた資料、筆者自身の記憶、複数の人の回想、資料から導く推論、そして企業の意図に関する仮説を区別しながら、「ファンタ・ゴールデン・アップル」をめぐる問題を検討する(そのためにもエクセルの表にして掲出した「アップルとゴールデン・グレープのボトリング会社別発売一覧」は重要です~)。
第1章:物的証拠の限界へ反論
1.1 「ゴールデン・アップルが無い」="悪魔の証明"だ
そもそも、「なかった派」は最初からハンディを負っていることを自覚しているのだろうか。 ある物が「存在しない」ことを証明するのは、「存在する」ことを証明するよりも一般に困難である。
この問題は、古くから「悪魔の証明(probatio diabolica)」と呼ばれてきた。
もともとはローマ法・中世法学において、ある者が自らの所有権を有することを、その取得原因から過去へと遡って逐一立証することの困難性を指した法学上の概念である。
今日では転じて、ある事物が「存在しなかった」「存在しない」という消極的事実の立証が著しく困難であることを示す表現としても、意味が拡大して用いられている。
「ファンタ・ゴールデン・アップルが存在した」という命題であれば、実際に販売された製品、当時の広告、商品写真、カタログ、新聞記事、販売店の記録、現物など、その存在を示す一つの確実な資料を提示すればよい。
これに対して、「ファンタ・ゴールデン・アップルは存在しなかった」と断定するためには、どの時期の、どの地域の、どの販売形態を対象とするのかを明確にしたうえで、製品カタログ、広告、新聞・雑誌、販売記録、企業資料など、存在する可能性のある資料を相当程度にわたって検討し、そこに痕跡が無いことを挙げなければならない。
しかも、現在確認できる資料に記録がないことと、当時その商品が存在しなかったこととは、論理的には同じ関係とはならない。
「自分が調べた資料には載っていない」という事実から、直ちに「当時、その商品は存在しなかった」と結論することは論理的ではない。 前者はあくまで「現時点で確認できた資料からは存在を裏付けられない」という資料上の判断であり、後者は「存在しなかった」という歴史的事実についての、より強い断定だからである。
歴史的事実の検証において重要なのは、資料が見つからないこと自体を存在否定の証拠とするのではなく、どのような資料を、どの範囲まで調査したのか、また、その資料群が当該商品の存在をどの程度記録し得る性質のものであったのか。そこを見極めることである。
まして、販売期間が短い商品、地域限定商品、季節商品、販売店限定商品、あるいは後年の製品一覧から省略された商品については、現在残されている資料だけから「絶対に存在しなかった」と断定するには相当な調査を要するであろう。
「ファンタ・ゴールデン・アップルは存在しない」という断定をするのであれば、まずその断定を支える具体的な資料と調査範囲を示す必要がある。
存在を示す資料が「一つ」見つかれば「存在した」という命題は崩れないのに対し、存在しなかったことを立証するには、単に「一つ」の資料に記載がないというだけでは足りないのである。
この点を踏まえ、調査範囲と資料の性質を示して「存在しなかった」との結論へ論じている文章を、筆者は寡聞にして見たことがない。
ただし、存在を主張する筆者側にも、提示した資料が何を証明し、何までは証明しないのかを明確にすることが求められよう。
1.2 パッケージ写真・広告が「見つからない」理由
ネット上の「なかった派」は、実物のパッケージ写真や広告がまったく見つからないことを主要な根拠としている。
しかし、これは以下の理由から証明にならないのである。
第一に、昭和50年代の広告資料は体系的に保存されていなかった。 当時の企業は、広告やパッケージを現在のようにデジタルアーカイブ化していない。 売上高の前年同月比を上回ることが至上目的であり、宣伝材料は売上のための手段だった。印刷物は使い捨てが前提で、次に売れる商品の開発や、不振エリアのてこ入れの主旨が優先である。
商品資料を丁寧に保存する意識は、たいていの企業人では低かった。
第二に、地域限定・期間限定商品は記録が残りにくい。 地域の商品であり、全国展開がなければ広告媒体も限られる。 短期間で販売を終えれば、資料もまとまりにくい。
社員個人の事務机のファイルにあった資料群が、上司や東京本社まで共有されない時代である。
担当の退社時だけでなく、社内の部署移転でも旧プロジェクトの書類は廃棄され、本社が移転しているとなれば、目的を持って保持しないかぎり、さらに失われやすい。
第三に、着色料問題という「失態」によって、存在が「なかったこと」にされた可能性がある。
「無かった派」は着色料問題を閑却するか、単純化しがちだが、問題はもっと複雑である。
改良した着色料を使った初期の対応バージョンが失敗した経緯を見落としている論考が多い。
合成着色料の技術問題で「新・グレープ味」が一時的に販売中止に追い込まれ、その代替として「ゴールデン・グレープ」が緊急的に(まさに「取り敢えず矛先を納めるための一時的に」)発売された。
「ゴールデン・グレープ」の売上は低迷したが、その中で「ゴールデン・アップル」も続いて発売されたとすれば、そこには何らかの意図があった可能性がある(詳細は第4章で考察する)。
また、企業側の行動として、様々な問題を抱えていた時期の商品関係は、整理や保存が後回しになった可能性、積極的に記録・保存されなかった蓋然性が高い。
様々な対策に追われて資料整備がおろそかになったのか、あるいは資料の一部が故意に隠匿・廃棄されたのか……。
いずれにせよ、「ゴールデン・アップル」の残存資料が少ないことだけをもって、商品の不存在と結論づけることまではできない。
1.2.1 コカ・コーラ社の「被害社意識」
日本コカ・コーラ株式会社社史編纂委員会編による『愛されて30年』(日本コカ・コーラ、1987年)には、「ゴールデン・グレープ」についての記述が見当たらない。ファンタ・グレープのどぎつい紫色の着色料事件についても、本文では、
「昭和49年以降広まってきた消費者の自然志向、さらに合成着色料の間題から、ファンタは一部消費者団体の関心の的となった。」*3
と記されているだけである。
筆者が参照した範囲では、自社の着色料に問題はなく、安全性もあった、という趣旨は述べられているが、「新グレープ」の沈殿問題への具体的な言及は見当たらない。
ただし、社史は紙幅や編集方針により記述を選ぶものである*4。
社史編纂上、意図的な記述の取捨選択があったとしても、それ自体は社史編纂上では珍しいことではなく、どの会社もやっていることであり、直ちに非難されるべきことでもない。
そもそも「一方、消費者運動の標的となった合成着色科は」という文脈における「標的」という語句からしても、消費者のために着色料を変更したとは思えない。
筆者には、自社が消費者運動の「標的」となったことを強調する語り口に、企業側の立場からの弁明という印象がぬぐえない。
このような他責志向の会社であるなら、自社の恥部や暗部を糊塗したり、記録から外したりする可能性は十分考えられる。
外資でもあり、その企業風土はわが国のそれとは根本的に異なっていたことも推測できる。
ただし、社史や記事の表現だけをもって、会社防衛的にのみ主張した、あるいは資料を隠匿したと断定することはできない。ここは、筆者の読解と事実認定を分けておきたい。
日本コカ・コーラ社の「被害社意識」は他の資料にも見受けられる。
宮本敦夫が『日本工業新聞』に連載した「企業ドキュメント さわやかさと共にコカ・コーラグループ」という提灯記事(失礼。広告主に忖度・配慮した記事ですね)にも、
「コカ・コーラもこの消費者運動の標的にされるのである」(第42回、平成5年2月1日)
「ホームサイズ破びん問題、さらに反コカ・コーラ運動といった具合に、次々と難題がコカ・コーラに対して襲いかかってくるわけである」(第42回、平成5年2月1日)
「この時期、コカ・コーラを苦しめたもう一つの問題はファンタに使われていた合成着色料問題である」(第43回、平成5年2月2日)
とある。 宮本は「標的」「難題」「苦しめられた」と記述、やはり日本コカ・コーラ社は無謬であるとの立場の筆致である。
自社が招いた事故・原材料の方針であるのに、どこまでも「消費者運動」側を自社を抑圧するものとして対立し、企業の考えを正当化しようとしている。
なにより末端の客が「ノー」を突き付けているのに「時代がら、消費者運動が盛り上がり」というように、リベラル勢力による「市民運動」によって致し方なく対応した的に、矮小化しているのは反省が不足しているのではないか。
この新聞記事はコカ・コーラグループを扱った全54回の新聞連載記事である。
掲載費や協賛金の有無を示す資料は、筆者の手元では確認できていない。そのため、タイアップ記事だったと断定することは避けたい。
ただし、引用した表現からは、企業側の立場に寄り添った語り口が感じられるし、これまでの出版体験から往々にして料金を払い掲載する記事体記事はあるから広告的だろうというのが筆者の読後感である。
企業とライターの力関係に於いて、スポンサー寄りや企業礼賛になるのは仕方がないことである。そのため、ライター個人の意図について評価するつもりはない。
なお以前、コカ・コーラの取材をした筆者の私に対して、この記事を単行本化的にした「製本された冊子、および新聞記事のコピーのまとめまで二つを、日本コカ・コーラ社は呉れた(一つで十分ですよ!。
実は当時は若くて、この冊子を呉れた真意をわかっていなかった。 企業としては「礼賛記事」に沿って書けばよい、という意味だったと思う。 これがあれば広報部署は楽ができる。おそらく新聞掲載から冊子刊行までを一パックにして、新聞社が企業に企画提案した「取材商法」の一種だと思われる。
ゆえに、「ゴールデン・アップル論議」で言われる、「なかった派」の主張である、
「『なかった派』の根拠で一番強いのは『缶も、ビンの王冠も、宣伝のポスターも、実在を示す写真も、なにも現物が存在していない』という点」
というのは、「ゴールデン・アップル」の存在を「あった」とする考えにおいては致命的なことではないのである。
「いわゆる「ジュース」の缶・瓶コレクターがおり、これまでコレクションとして『ゴールデン・アップル』を所持している方が皆無であるから『存在した』という主張はおかしい」
という点についても反論ができる。
1.2.2 何処かにある可能性は「ゼロ」ではない
ネットでわからない事などは山ほどある。
ウィキペディアの記述に間違いが混じっていることは日常茶飯事で目にするし、ネットで調査できる事、問題解決したい事には限界がある。
筆者は明治から平成にかけて清涼飲料水の発売データを二万件近く蒐集したが、これらの文字情報に対応する、商品姿の写真がすべてネット上で見られるかというと、およそ10分の1以下しかないと思われる。
ファンタ・ゴールデン・アップルの商品写真やフタの写真がネットにないということは、これらの清涼飲料水の写真がネット上に見あたらないことと全く同じである。
また、「野に遺賢あり」と昔から称される様に、私たちの知らないところで優れた研究をしている方*5はいる。
あるいは密かに先行研究を覆す論考を書いているが発表の機会に恵まれていない方もいるだろう。さらには、大量のコレクションを持ちながら、門外不出で秘蔵している方もいる(昔は新聞雑誌の取材にも応じない"偏屈"な蒐集家は多かった)。
世間に発表されていること、日の目を見ていることだけが、世のすべてではないし、目に付かないものが"限界"だと考えない方が良い。
自験例でいえば、長年、「日本初の缶コーヒー」は「UCC缶コーヒー」だといわれていた。 ところが1997年に業界紙での記述を発見した私は、「外山食品のダイヤモンド缶コーヒーが最初である」と主張した。 だが、活字では存在しているのだが、まったく、実物缶も写真も発見できなかったため、
「姿・形も見つかっていないではないか。単に発売予定に過ぎなかったのではないか。ダイヤモンド缶コーヒーが第一号説は違う(島根のミラコーヒーなのだぞ)」
と、反論されてきた。
2024年なって、ようやく「ダイヤモンド缶コーヒー」の商品姿の写真を発見した。
さらに統計資料にも「缶コーヒ―」が、集計対象として掲載されている事も突き止めた。
このようなことがあるのだから、現在の調査の深浅で見つけられことはあるだろう。
清涼飲料水のコレクター自身がよく分かっていることだろうが、「まだまだ、自分は多くを蒐めたとはいえない」という不全感を持っていると思う。
記念タバコや記念切手のように一応の限りがあり「コンプリート性」が存在する蒐集分野であればともかく、延々と発売される商品分野ではコレクションに「ゴール」はないのである。
1.2.3 販売の「地域と期間」が限定されていたためか
ファンタ・ゴールデン・アップルの販売形態が「限定的」だったとすれば、現在まで商品記録や現物が見つかりにくい理由の一端を説明できるかもしれない。
販売地域や期間が限られていれば、広告の出稿量や流通した容器の数も少なく、社内資料や販促物、消費者の手元に残る現物が、全国販売の定番商品に比べて僅少となる可能性がある。
瓶容器が残っていない事については説明が可能だ。
ファンタは、瓶本体に「オレンジ」などのフレーバー名を印刷せず、既存のファンタ共通瓶を使用する。
そのためフレーバーの区別は、瓶の透明部分に見える液体の色、王冠の違いによって、店頭上、区別の表示を委ねていた。
だから、ファンタ・ゴールデン・アップル専用の瓶はもともと存在しないだろう(時代によってはフレーバー専用瓶はあるだろう。もしゴールデン・アップルにも専用プリント瓶が存在するようなら筆者の不勉強なのでご指摘をお願いします)。
また、王冠が見つからないのは、経費の問題という仮説が立てられる。
発売当初から永続性を考慮せず「一時的な商品」と位置づけられていた場合は、専用の王冠を新規に印刷発注しなかったかも知れないのだ(ただし、社内内部で「一時的な代打」の流れと考えていた群と、「ゴールデン・グレープ」に続く「ゴールデン・シリーズ化」を考えていた群があった可能性はある)。
「一時的」の場合、次の三つの経費削減策の可能性が考えられる。
- 先行品の「ファンタ・アップル」用王冠をとりあえず丸ごと転用
- 「ファンタ・アップル」王冠と、版下は同じだがゴールデンのほうは黒ではなく、刷色を変化させていた
- 頭頂部は「ファンタ・アップル」と共有だが、側面には「GOLDEN」などの文字を加刷した
1の場合は残った王冠は当然、先行品のアップルと見分けがつかない。
2の場合は長年の経時によって、色が褪色してしまって、これも先行品のアップルと混同された可能性がある
3の場合だけ、残っている可能性があるのだが、短期間の商品と認識していた場合は経費的に側面に加刷する可能性は低い
この、王冠の転用というか、複数の王冠を使用するという考えは、コカ・コーラ関係では決して荒唐無稽な空想ではない。
画像を参照してください

(画像出典:Jonathan McElwain 「Drink Coca-Cola Star Wars: The Japanese Coca-Cola Campaign of 1978」 2024 https://blog.theswca.com/2024/04/drink-coca-cola-star-wars-japanese-coca.html)
「新・グレープ」の場合には、新を訴求したいためボトラーごとに、王冠が異なる場合があったのだった。
上半分の文字が紫色バージョンと、従来の黒バージョンの2種類があるという。
各ボトラーは両方ではなく、どちらを一方を採用した。(画像では三国コカ・コーラボトリングが紫色を選んでいる)。
そして王冠側面への加刷はやはり「新グレープ」の訴求として事例がある
(画像出典:Jonathan McElwain 「Drink Coca-Cola Star Wars: The Japanese Coca-Cola Campaign of 1978」 2024 https://blog.theswca.com/2024/04/drink-coca-cola-star-wars-japanese-coca.html)。
「GRAPE」の加刷が、東京・長野・中京・四国・北九州・南九州の各コカ・コーラボトリングで行われていたという*6。
ファンタ・ゴールデン・アップルの王冠に変則的なことが起きている可能性はゼロではないのである。
勿論、これらはあくまで推測であり、書類や現物が乏しい状況を説明するための仮説の一つとして筆者が提示するものに過ぎない。
今後、当時の広告、各地ボトリング会社の資料、王冠や250ml缶の実物などの発掘によって検証する必要がある。
1.3 「ゴールデン・グレープ」との混同説の弱点
「なかった派」が否定する論拠に「ゴールデン・グレープ」と「混同してしまった説」がある。
これこそ牽強付会であって、我田引水の主張である。
自説に都合よく事実を結びつける恣意的な論証といわざるを得ない。
先ほども少し触れたが、まず最初に消費者団体などから「ファンタ・グレープ」の合成着色料に対して、発がん性への懸念が指摘された。
それに対応する形で、日本コカ・コーラ社は、天然由来の着色料を使用した商品として、「新グレープ味」を発売した。
ところが、「新グレープ味」は技術的に失敗し、沈殿物が発生した。 このさらなる対策として、登場したのが「ゴールデン・グレープ」なのだ。
対策の一つとして登場したのが、なんと、色素をまったく使わないことだった。
カラメルのみで着色した「ゴールデン・グレープ」だ。
ここで重要なのは、この一連の経緯が各地のボトラーに同じ日程で起きたと決めつけないことである。
全国的な商品史の概略は参考になるが、個々の地域でいつ導入し、いつ切り替えたのかは、各ボトラーの資料を調べなければ分からない。 *7
まず前提として、アップル、ゴールデン・グレープ、ゴールデン・アップルそれぞれの商品発売時期を確認する。
・昭和49年7月:富士コカ・コーラボトリングが「ファンタ・アップル」を最初に発売(昭和49年に発売したのは11ボトラー、50年にゴールデン・グレープと同時発売らしきは東京。近畿は昭和50年だがアップルが3月でゴールデン・グレープが7月とアップルが先行といえる)
なお、清涼飲料水研究家で著名な久須美雅士は、「月末はファンタの日!「ファンタの歴史」をドリンク缶約2万本を所蔵する清涼飲料史研究家が振り返ってみた」*8において、「ファンタ・アップル」は昭和49年発売、と記述している。
ファンタ商品は各地ボトラーで発売年月が異なり、一概にいえず、アップルとゴールデン・グレープがどちらが先行発売なのかが重要な局面ではボトラーごとの確認が欲しいところだ。
例えば東京コカ・コーラボトリングが「ファンタ・アップル」を発売したのは昭和49年12月発売の「HI-C」アップルが好調だったからという動機が社史にある。
ゆえに東京では時系列的にファンタ・アップルは昭和49年には発売ができないと考えられ、「昭和49年発売」には首を傾げざるを得ない人も出る。
日本各地に「ボトリング会社」があるが、たいていは商品を一斉に同時発売することは少なく時間差が生まれている。
ただ、ファンタ・アップルを昭和49年に発売した地方ボトラーは調査で確実なだけで11ボトラーの及び、かなり多い。今回は久須美が記述する様に昭和49年としてもおおむね論考に影響はないだろう。
とにかく3者のなかでは一番先行している商品である。
・昭和50年7月:着色料をカラメルのみに改良した、薄い色の「ファンタ・ゴールデン・グレープ200ml/500mlびんや250ml缶」が発売されだす
・昭和50年7月頃:「ファンタ・ゴールデン・アップル200mlびんや250ml缶」が発売されだす(各ボトラーで異なる) の順である。
通常版のアップルが先行発売し、次にゴールデン・グレープとゴールデン・アップルがほぼ同月くらいに発売されている地域が多い傾向があるとみられる。
各地ボトラー別ゴールデン・グレープとアップルの発売一覧は掲出のExcel画像を参照されたい。ついでに各地ボトリング会社の創業年と当初の出資者も記してある。

1.3.1 「見た目」が似ているという説明を検討する
例えばココログ「くろねこさんの昼さがり」サイトの「ファンタ・ゴールデン・アップルの都市伝説」(2021年12月12日 (日)http://kuronekosannchi.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-82f196.html)では次のように記している。
「ゴールデン・アップル」と「ゴールデン・グレープ」、名前からしてよく似ている。 そしてゴールデングレープは、まるでシャンパンのような色合いの黄金色のグレープジュースだった。 これは見た目の印象だけで判断するなら、グレープというよりもアップルジュースである(略) 黄金色のまるでアップルジュースのようなゴールデングレープが、「ゴールデンアップル」という幻想を生んだとしても、決しておかしくはないだろう・・・・・・。」
と、「見た目」の近さと、「ゴールデン」という語による誤解だと説明している。
(なお、このブログでも「ゴールデン・グレープ」が誕生した経緯を、「ファンタグレープの合成着色料が問題化して、代替品として着色をカラメルだけにしたゴールデングレープ」を発売したと説明している。途中の「新ファンタ・グレープ」での着色料失敗問題は閑却されているため論考全体の信頼性が揺らいでいる)
「見た目」の点だが、個人的な経験によると「ファンタ・ゴールデン・グレープ」の発売時、筆者の私は小学五年生であるが、見た目で「りんご」を想起する知識はなかった。
明治「スカット」など炭酸のフレーバー飲料の濃い色に慣れていた目には、ゴールデン・グレープは単に「色が薄い」という印象であり、強いて「見た目」を何かに例えれば「おしっこ」っぽい、くらいである(赤緑色盲というせいもあるか……)。
後述するが官能として「見た目」を論じるのであれば、むしろ、「見た目は薄い色で全く『グレープ』を連想しないのに関わらず、グレープの味がする」という、ズレた「味覚」にも着目しなければ不自然であろう。
そもそも、たとえ小学生であっても「ゴールデン・グレープ」を「購入」しているのに、「アップル」を連想するであろうか、いやありえない。反語だ。逆も真なり。
当時の体験者として記述するが、「ファンタ・ゴールデン・グレープ」は、色が非常に薄く、既存の「ファンタ・グレープ」とは全く異なる外観であったため、逆に非常に印象に残る商品であったのだ。
この「変化の印象」こそが、「ゴールデン・グレープ」を飲んでいる最中にも、飲んだ後でも、「アップル味」として認識されることは無いという筆者の主張を支えるものである。
1.3.2 アップル味の炭酸飲料には馴染みがなかったのだ
地域や家の貧富で差があるだろうが、昭和50年頃は未だ「りんごジュース」を普段から飲むことは「一般的な現象」ではない時代だった(くどいが富裕層は飲んでいたかもね)。
《これは「りんご」果汁は酸化しやすいので、メーカーが製造しにくいという理由もあるだろう》
もちろん市場には「りんご」味の飲料は存在した。
それでも、実際に商品を選択するときに「オレンジ」「グレープ」を差し置いて「りんご」を優先的に飲む子どもは少数派だったろう*9。
ここで多くの地域では「ファンタ・アップル」が「ゴールデン・グレープ」より先行して発売されたことが効いてくる。 たいていの地域では、昭和49年10月頃にアップル、翌50年7月頃にゴールデン・グレープ発売と、両者には9か月間のインターバルが生じている。
そもそも炭酸の「アップル」味に「馴染み」をまったく抱いていない児童たちは、「ファンタ・アップル」で初めて「アップル」味の炭酸飲料を知ったはず。
「ゴールデン・グレープ」をみたり、飲んだりして、「アップル」と混同する記憶が形成されるのは、非常に不可解ではないか。
ゆえに「ゴールデン・グレープ」から「アップル」を想起するという事態による混同が生じるという説は無効なのである。
1.3.3 「アップル」味があっても選択しない子ども
話は少しズレるが、「アップル」味の飲料を購入する際の内心にも関与するため、市場には商品が存在しても選択しない点、つまり「アップル」味があっても選ばないことについて、もう少し説明を加えたい。
例えば希釈飲料「カルピス」にはプレーンのほか、オレンジやグレープも市場(商店)に存在したが、果たしてバリエーションのフレーバーを購入するかどうか。
存在と、オレンジ・カルピスの飲用体験を子ども時代に持つか、は全く別問題ということである。
プレーンの白であれば過去の経験から「美味しい」ことの保証がある。
だが「グレープ」を買ってもらっても、途中で飽きるかも知れない。 あるいは過去に途中離脱した別の商品事例があり、それに懲りた親は「どうせ最後まで飲まないではないか」と感情的に叱咤して買ってくれない。
この時代の多くの家庭にとっては未だ「使い捨て」時代ではなく、必要なもののみを買う時代であった。
嗜好品など生活必需ではないものを買ったとき「美味しくないから捨てる」などの行為はしない《ついでにいえば、自宅の冷蔵庫にある食品は、「製造年月日」(賞味期限表示は昭和51年以降からだ)を見て「古いな」と思ってもカビが無いかを見たり、においを嗅いだりし、簡単に捨てることはない》。 当時の価値観は現代とはちがうのである。
よくスーパーではマネキンさんが雇われて新製品の「試食」をしていたが、これは消費者にとって、新製品を購入するときの後悔の予測や躊躇いで、買い控えるという障壁を下げるために考えた施策であろう。
この「同時代に物理的に存在していても購入・喫食体験は伴わない」という点は、児童のあらゆる飲食の主体的な行動としても重要である。 当時の「大金持ち」以外の子どもは小遣いが乏しいため、消費行動は保守的傾向になりがちだ。
例えば「遠足のおやつ」の購入時には、300円の予算制限があった。
食べたことがない新製品に関心があっても「失敗したら……」と考えてしまい「冒険的」な購入・選択はできかねる。 もし、新製品を買ってみて、不味くて50円分なり、100円分がパーになってしまうのは大きな痛手であるからだ。
結局、安全策となり、いつも食べなれた菓子を選択せざるを得ない、保守傾向となる。
我々中産以下、貧困層の子どもが新製品に出会うとしたら、まさに「遠足」の最中に同級生から頒けてもらった菓子である。
それが旨いと、納得の体験をしたら次にリピート買いをするのである(同級生は多様であるから、新製品に冒険するやつも、大金持ちで適当に買ってくるやつもいる)。
炭酸飲料のアップル味は、「ファンタ・アップル」が初めてだったと確実に断定することはできない。
原稿中にも昭和40年発売の「マリンカ」など先行例を挙げている(ただマリンカは武田薬品工業の発売で、プラッシーと共に米穀店が配達した。プラッシーを飲んだ経験が少ないのに更にマリンカ体験者は少数だ)。
ここで言いたいのは、当時の大手ブランドでは、アップル味がオレンジやグレープのような定番フレーバーとして広く定着していたとは限らず、商品や販売地域によって接する機会に差があった、という点である。
1.3.4 「固定観念による勘違い説」を一笑に付す
赤木智弘は、ライブドア総合ニュースサイトで、「「ファンタ ゴールデン・アップル」は存在しなかった? 平成の都市伝説からみる、フェイク判定の難しさ」*10を執筆している。
「無果汁の飲み物は香料と着色料で元の果物をイメージさせることで味を作り上げている。故に、アップル味とグレープ味の違いも、そうしたイメージによるところが大きい。当時の「グレープ味と言えば紫色」という固定観念の強い子供たちにとって、黄金色のグレープが、アップルと記憶されていてもおかしくない。」
「当時の無果汁飲料の味はイメージによるところが大きく、勘違いしたまま飲んでいた」
と、赤木は当時の子どもたちは「色で左右されるため」、現実も記憶も、勘違いが生じるのだとしている。
そんなバカな……。
「ゴールデン・グレープ」をお店で購入した子どもは、最初に「私はグレープ味を飲もう」と選択している。
にも関わらず、飲んでいる途上や飲用後になって「これはアップル味だ~」と錯覚するというのは、ヒトの行動や心理として非常に納得しにくい説明なのである。
先述した「くろねこさん」も赤木さんも、「勘違い」した中にご自身が入っているのなら、まだ「個人の体験」として筆者は受容することができるかもしれない。
だが、文章には「自身の経験から言えるが……」という語句はないため、何ら実体験に基づいていない、後から解説を作り出したという「机上の空論」に映るのである。
お叱りを受けるかも知れないが、「ゴールデン・グレープとゴールデン・アップルとを間違える」ことを前提に、それに見合うように無理にひねり出した考えに見えてならない。
筆者は歴史的な調査には、なにごとも目先の事だけでなく、「全体構造」の把握、理解が必要だと感じている者である。
今回の場合には、日本で清涼飲料水が発売されてきた、商品の登場と定着の歴史の中で、「アップル」「グレープ」という定番の「果物フレーバー」をどう位置づけるか、人気の度合い、果実の商品化傾向の順番などを考慮する必要があると思うのだ。
清涼飲料水の歴史の全体に位置づけて見れば、この様な「アップル味とグレープ味の勘違いによる、記憶の混乱」というユニークな着想は起きないと考える。
1.3.5 昭和50年前後のアップル味の人気は?
昭和50年時点では未だ子どもにとって「アップル味は珍しい味」であった。
子ども用歯磨きでも「りんご」を選んだ子どもは少ないでしょう? チューインガムでりんご味のフレーバーのガムを噛んだ1960年代、1970年代生まれはおりますか?
りんごは家庭で親がむいてくれるものであり、ごくまれに病気のときにすりおろしりんごやしぼり汁があったくらい。
バーモントカレーは「リンゴとはちみつ」と宣伝していたけどりんごの味を感じていましたか?
もちろん「グアバ味」や「ザクロ味」よりは親しみがあっただろうが、ファンタが長年「オレンジとグレープ」の二大コア・フレーバーを販売してきた影響は大きく、他の果実を大きく引き離していたでしょう。
ここで、炭酸飲料と果実飲料において、使用される果実のランキングを考えると、おそらく下記の順番の構図となるだろう。
「オレンジ・グレープ>パイン>レモン>アップル>>ピーチ>プラム>>>ストロベリー≒マスカット≒メロン>>チェリー」
昭和50年まで炭酸飲料のフレーバーとして、「アップル味」はマイナーな商品だということを忘れて、論考を展開するのは無理がある。
「グレープ味」と「アップル味」とを混同して記憶するためには必要な前提条件がある。
「ゴールデン・グレープ」を体験するまでに「アップル味」の炭酸を飲んだという味覚の体験である。 そうでなければグレープ味を飲みながら上書きしてアップル味の記憶定着にならないだろう。
昭和50年まで、炭酸飲料のフレーバーとして「アップル味」はマイナーな商品だったことを忘れて論を展開するのは無理がある。
唯一「アップル」の炭酸飲料を体験するとすれば、それは昭和49年後半に通常版の「ファンタ・アップル」を先に飲用した経験があることである。
商品が市場に存在したかどうかと、個々の子どもが実際に買って飲んだ経験を持っていたかどうかは違う。
さらに、昭和51年以降であっても「アップル味」の炭酸飲料商品の発売は数少ない*11。 皆さん、アップル味の炭酸飲料をこれまで、どの程度飲んだ経験がありますか。
多分、「飲んだ記憶がないか、あまり親しみがない」方、あるいは「ファンタ・アップル」を挙げる方が多いのでは。
「アップル味」の飲料は炭酸ではなくても、「果実飲料」であってもあまりポピュラーではない。 りんごは酸化しやすく褐色に変化するためである。
そのため、下記の青森県りんごジュースが「リンゴ天然果汁」を缶入りで発売していることから分かるように、技術が進化するまで、「紫外線」避けとして「アップル」味は「瓶」では無理で「缶」入りで発売されていたのである。
つまり「アップル味」の果実飲料を飲んだ経験が昭和50年までにあったとしても、缶入りであれば躾が厳しい家庭において改めてコップに移し替えして飲まない限り、「アップル味の飲料の色は明確には記憶にない」はずと考えるのが自然である。
ここで、炭酸飲料のフレーバーを、各種果実の登場順に並べてみよう(これは決定ではなく、このほかローカルでラムネなどを製販していた飲料会社による先行発売例もあるかと思うが、ほぼナショナル・ブランドに拠っている)
| 果実 | 発売時期 | 商品例 |
|---|---|---|
| オレンジ | 昭和33年1月 | 東京飲料「ファンタ・オレンジ」瓶 |
| グレープ | 昭和33年1月 | 東京飲料「ファンタ・グレープ」瓶 |
| プラム | 昭和38年4月 | 雪印乳業「スノーソーダ・プラム」瓶 |
| レモン | 昭和39年8月 | 森永製菓「サンキスト・レモンソーダ」瓶 |
| グレープフルーツ | 昭和40年 | サントリー「サントリー・グレープフルーツスカッシュ」 |
| メロン | 昭和40年10月 | ナイスパンチ会「メロン」瓶(統一商標であり、実際は兵庫鉱泉所などが製造販売) |
| あんず | 昭和40年10月 | ナイスパンチ会「アプリコット」瓶 |
| いちご | 昭和41年4月 | 日本エイトトラック会「ストロベリー」瓶 |
| ライム | 昭和41年7月 | 日本ペプシコーラ「ミリンダ・レモンライム」 |
| チェリー | 昭和47年3月 | 不二家「不二家ソーダ・チェリー」缶 |
| アップル | 昭和49年12月 | 富士コカコーラボトリング「ファンタ・アップル」瓶・缶(昭和40年、武田薬品工業『マリンカ』もあるが、米穀店ルート限定と狭い) |
| パイン | 昭和53年 | アートコーヒー「クリームソーダーパイン」缶 |
さらに戦後、炭酸が入っていない「果実飲料」でも比較は可能だ。昭和27年夏に発売された、日本ミッションジュースの「ミッションジュース・オレンジ」以来、バヤリースオレンジをはじめ主流はオレンジであった。 以下は果実飲料で、オレンジ以外の果実が採用された時期である(濃縮飲料・粉末飲料・乳酸菌飲料は除く)
| 果実 | 発売時期 | 商品例 |
|---|---|---|
| グレープ | 昭和27年11月 | 朝日麦酒「バヤリース・グレープ」 |
| パイン | 昭和27年夏 | 日本ミッションジュース・ボトリング「ミッションジュース・パインアップル」 |
| アップル | 昭和32年 | 青森県りんごジュース「リンゴ天然果汁」缶 |
| ピーチ | 昭和36年10月 | 明治製菓「ピーチネクター」 |
| レモン | 昭和39年 | 森永東京ルートセールス「レモンドリンク」発売 |
| マンダリン | 昭和41年6月 | 森永乳業「マンダリンジュース」 |
| グレープフルーツ | 昭和41年7月 | 森永東京ルートセールス「サンキスト・グレープフルーツジュース」 |
| プラム | 昭和42年4月 | ユーミー会「プラムジュース」瓶 |
| グァバ | 昭和47年 | 愛媛県青果連「ポン・グァバドリンク」 |
| マンゴー | 昭和47年 | 東海パスカル「マンゴ」 |
| プルーン | 昭和48年 | ポッカレモン「ポッカプルーン果汁100%」缶・瓶 |
| ライム | 昭和48年 | サントリーフーズ「ライム」 |
| パッション | 昭和49年2月 | 三井農林「日東トロピコドリンク・パッション」缶 |
| パパイヤ | 昭和49年2月 | 三井農林「日東トロピコドリンク・パパイヤ」缶 |
| クランベリー | 昭和51年 | キッコーマン「クランベリー」缶 |
| カボス | 昭和51年 | 竹田市農協「カボスドリンク」缶 |
| いちご | 昭和53年 | UCC上島珈琲「ストロベリードリンク」缶 |
| あんず | 昭和60年4月 | サッポロビール「あんず20」 |
1.3.7 「固定観念」を打ち破った「薄い色」のグレープだ
赤木論を敷衍すれば、「グレープ味と言えば紫色」という固定観念があるからこそ、かえって「ファンタ・ゴールデン・グレープ」は「紫とは見えない薄い色なのにグレープの味がする」ことによって、「良い意味で裏切られた・意表を突かれた」という強い衝撃をもたらすではないですか?
これが記憶されないというのはおかしい。
実際に「これはすごい、変わっているな」と感嘆しながら子ども時分に飲んだ体験は、文脈や感情と結びついた「エピソード記憶」として、ヒトの脳裏に一段と鮮明に刻み込まれると思うのだ。
この点は、筆者自身の「ゴールデン・アップル」と「ゴールデン・グレープ」の記憶がなぜ鮮明なのかを説明する材料にもなる。
ただし、印象的な経験であれば必ず正確に記憶され、混同が起こらないとまでは断言できない。記憶の鮮明さと記憶内容の正確さは分けて考える必要がある。
筆者としては、「ゴールデン・グレープとの混同」という説明だけで、ゴールデン・アップルが異なる地域・時期に登場する証言を、一括して片づけることには非常に疑問がある。
1.3.8 子ども時代の買い物の真剣さ
赤木が、昭和50年当時に「ファンタ・アップル」や「ファンタ・ゴールデン・グレープ」を飲んだか飲まないか不詳であるが、赤木は「記憶混同」説を案出したためにピットホールに陥っているのだ。
一般論として、幼少の頃の菓子・飲料へのこだわり、買い物行動の点を閑却しているのだ。
先述したが、50歳、60歳という成人になった現代のわれわれと、昭和50年当時の子どもは、買ったものに対する「興味・関心」と「執着度」はかなり違うのではないだろうか。
昭和50年頃の小学生は、駄菓子屋にて、
「うーん、どうしよう。オレンジ味にするかグレープにするか?」 「きなこ飴が食べたいけど、ガムでできるだけ長持ちさせる方がよいかもなぁ」
と、数分以上店頭で商品を凝視し、惑いながら本日の遊びと、お菓子・飲み物の消費計画を立てたものである。
ようやく選択が決まってから、菓子や飲料、小物玩具を買っていたはずではないか。
店頭に現れて、いきなり何も考えずにその場にある商品をなんでも良いから手に取って、会計に向かう子はほぼゼロである。
沢山のお菓子や飲料が欲しくても、小遣いは限られていた。
一つ一つの商品が大切である子どもが、色が薄いからといって惑乱し、
「おれはグレープ味を買ったけど、いま飲んでいるのはアップル味なのだ~」
と、現実に味わっている味覚、そして後の記憶がすり替わってしまう事は到底、納得できない。 そんな思考回路があったとは承服できない。
できるだけ沢山食べたい、買いたいのだよ、子どもというのは。
その場合に子どもは頭を働かせる。
駄菓子屋に入る前に、道端でコーラやファンタの瓶を探して拾って1本10円で交換するとかさ。
たとえば複数人で店にいったとき、「おまえはオレンジ、おれはゴールデン・グレープにするから、あとで半分っこにしよう」 とかさ。
共有や互恵の考え方で複数種の商品を体験しようとしたでしょう。
「パピコアイス」のように、半分に分けられる棒アイスもあったでしょう?
年長者がより多くだまして取って、年下が泣いて抗議したこともあったでしょう。
涙ぐましい努力をする小学生たち。
決してそこらにある清涼飲料を適当につかんで、「喉の渇きが止まれば何でもいいぜー」と、飲んでいたのではなく、明確に「特定した何か」を予算内で買い・味わう、という消費行動をしているのである。
だから、味覚の記憶を単純に混同したと説明するには、納得できる論理構成が必要である。
1.3.9 「見た目」を重視し「味覚」を忘れる記憶混同説
「記憶混同説」いや、「ガキの勘違い」論者は、「見た目」を指してアップルとグレープを混同したと主張するが、どうして「飲み味」という、味覚面は見落としてしまうのですか?。
「見た目」で腹は膨れません。 普通の子どもは「見た目」より「味」ではないですか? 「勘違い」論者は、幼少のみぎり、味よりも見た目を優先し大事にしてきたのですか?
百歩譲って「見た目」が優先としてもいいですよ。
そうしたら、逆に「『見た目』が薄くて、全くグレープには見えない飲料なのに、飲んだら何と味がグレープ!」という、「衝撃的体験」を忘れてしまうのですか? と反論ができますよ。
先述したけど、この「固定観念に寄る勘違い説」は、千葉・仙台・福岡など11ボトラーの地域で、既に「ファンタ・アップル」が、「ゴールデン・グレープ」よりも先に発売されていた子どもにとっては、まったく、全然、少しも、意味をなさないです。
なぜならば。 昭和49年の後半から昭和50年6月までに「ファンタ・アップル」を買って、「アップルフレーバー」の炭酸飲料の摂取経験がある場合だと、昭和50年の7月以降に買った「ファンタ・ゴールデン・グレープ」を、「アップル」と混同することなんて、普通の子どもなら、まずありえないからだ。
通常版のアップル体験がなくていきなり「ゴールデン・グレープ」を飲んだ場合は、「ゴールデン・アップル」との勘違いだ説でも良い、と譲歩できますが、その場合はどこから混同する「アップル」味体験を持ってくるのですかね。
多くの子は通常版のアップルを先に飲んで、これまでの「オレンジ・グレープ」時代に代わって、第三の味として知った体験をしました。
ファンタの第三の味は「レモン」か「アップル」なのだが、「ファンタ・レモン」か「ファンタ・アップル」を飲んだ子どもは余計に、「第三の味」の記憶が鮮明のはず。
ずっとずっと、日本ではファンタは「グレープ・オレンジ」の二つのフレーバーしか発売されておらず、地域や体験の差によるが「初めてファンタのグレープ・オレンジ以外、第三番目のファンタ体験」が、「アップル味」(または「レモン」味)であれば、強い思い出となるはずだからだ。
少年漫画雑誌でもおんなじです。
長年、少年マガジン・サンデー・キング・ジャンプ・チャンピオンの五大誌時代があり、そこに双葉社が『少年アクション』で割り込んできたのは衝撃でした。なかなか記憶として忘れません。
各ブログの「記憶混同説」論者は、「ファンタ・ゴールデン・グレープ」の特別な存在感を見落としている。 当時の子ども(8歳~12歳程度)は、主婦連が「着色料に反対した」事情については全く知らない。
だから、これまでの色が「ブドウ」色で濃い「ファンタ・グレープ」が、ある日突然になくなってしまったことになんとなく戸惑った。
そして、なぜか「ゴールデン・グレープ」という名前で、とても薄い色に関わらず「グレープ」の味を感じる飲料が出たという受け止め方だった。
この「薄いグレープという奇妙な飲み物」は、かなり「子ども心」を揺さぶる存在、経験であったのだ。
「いや、私は色は薄いけど、これもグレープだよねと冷静に受容しました」 という子がいたら、ここに連れてきて。
極端な例示かも知れないが、例えば「透明なコーラ」を初めて飲んだ子どもは、 「すげー! これサイダーなのにコーラの味がする!」 と驚くでしょう。このことに反対される人はまずいないと思います。
「ファンタ・ゴールデン・グレープ」は、それに匹敵する、まるで「手品」的な体験といえば、理解してもらえるだろうか。
子どもの記憶ってあなどれない。
例えば「あった派」に分類されるであろうブログに「仙台・幸町から写真日記」のエントリー「ファンタ・ゴールデン・アップル味」(2005年11月07日)(https://saiwai.exblog.jp/2519758/)があり、ここには次の記述がある。
「ゴールデン・グレープじゃないよ、味がリンゴだったし、ゴールデン・アップルなんて面倒くさい名前インパクトがあったんで30年たった今でも覚えていたんだもの。」
と、ブログ主宰者は、「味覚」と「名称」の2点において、強烈な印象を伴った「エピソード記憶」で定着しているのだ!
しかも、現代のコンビニはたくさんの炭酸飲料、果実飲料が並んでおり、商品の新発売と廃番も目まぐるしい。
それに比べて、コンビニもなく昭和50年頃の子どもが行く駄菓子屋や食料品店では、炭酸飲料の取り扱い種類はかなり少なかったのだ。 だからこそ、新製品への関心や記憶の濃厚さは現代とは比べ物にならなかった頃なのだ。
記憶の取違えなんて容易には起こらない時代だったのだ。
これまでの事を整理すると、かなり多くの体験は次のようになるはずです。
- 昭和49年後半に「ファンタ・アップル」を飲んで、初めて「第三のファンタ体験」をし、初めてのアップルの炭酸飲料を飲む味の経験をし、かなり「記憶としては重要」な経験をする
- 次に昭和50年7月頃に「ファンタ・ゴールデン・グレープ」を買って、なんとファンタ・グレープが薄い色になってしまった! さらに飲んだら「味はグレープだった!」という、これも衝撃的な体験をする
どちらもエピソード記憶としては十分なインパクトがある体験でありませんか。 どこに「固定観念」が入る隙間があるのでしょうか。
ウルトマランとウルトラセブン、どっちもどっちで区別できないという、大人はいたでしょうが、そんな子供はいないでしょう? それと同じ構造です。
皆無とはいいません。たまにはいたかも知れません。 だけどそんな特殊な子どもが何人も、日本中あちこちにいるのですか?
特に「缶飲料」で「ファンタ・アップル」を体験した場合は、中が見えなかったので、「見た目の色」では左右されにくいし、「見た目」問題はツッコミどころか多くて満身創痍です。
1.3.10 「ファンタ・ゴールデン・グレープ」の販売地域との整合性
ネットでの調査には限界があるのだと筆者はいいながら、ネットに掲出された証言を本稿で援用するのは少し忸怩たるものがあるが、インターネットで「ゴールデン・アップル」の飲用体験をコメントなどで記述した方の中には、
「ゴールデン・グレープと、ゴールデン・アップルを取り違えてはいない。何故なら、むしろ私はゴールデン・グレープという商品を当時知らず、後で知ったから」
と、なぜ自分がそれを記憶しているのか、という点にも触れて証言の確度にまで踏み込みをされている場合もある。
「YUME-NO-MAKADE」サイト主宰のくりまんじゅうさんも、「ファンタ・ゴールデン・アップル」(2007-10-11)というエントリーで、
「そもそも「ゴールデングレープ」なんて知らないです。」(http://yume-no-nakade.blogspot.com/2007/10/blog-post_11.html)
という。
証言者の居住地域によっては「ゴールデン・グレープという商品を知らなかった(=当地域のボトラーがゴールデン・グレープ未発売、または証言者の購買体験にゴールデン・グレープが含まれない)」という点が、各地の記憶を検討するうえで重要な手がかりとなることを示している。
「混同説」における最大の欠点は、「そもそもゴールデン・グレープの発売がその地域で無かった」場合、あるいは「発売はあっても、先行発売の通常版アップルとの時間差がかなり乖離している場合」である。 記憶の混同は通常版「アップル」と「ゴールデン・グレープ」の両方を飲んだ経験がないと瓦解する論理展開なのだ。
現地ボトリング会社主義である日本コカ・コーラ。 居住地のボトラーが「ファンタ・ゴールデン・グレープ」を発売していなかったら、上記の「ゴールデン・グレープは知らなかった」証言の信ぴょう性は増す。
着色料事件の経緯から考えると、「オレンジ」と二大フレーバーであった「グレープ」味を欠いたままという事につながるため、「(ゴールデン)グレープ」を発売しないというのは考えにくく、これまでの調査では北海道・コカ・コーラボトラーズの事例があるのみだ。
通常版ファンタ・アップルと、ゴールデン・グレープを確実に販売していたボトラーを調べる主旨もあって、両商品の発売状況を地域ごとに調査、結果をまとめると、掲出したエクセル表となった。
確実に販売されていた期間を通常版アップルは赤系、ゴールデン・グレープはぶどう系色で塗った。始期や終期がはっきりしない年には黄色を付けてある。
図表を再度、掲出する。

この表を見ると様々なことが判る。
北海道はなんと通常版アップルとゴールデン・グレープの両者の発売開始時期に3年もズレがありそうだ、しかもゴールデン・グレープの発売は52年~53年という短期間である。
さらに「北海道コカ・コーラ」の社史には「ゴールデン・グレープ」という苦肉の策は発売せず、一足飛びに「ニュー・グレープ」を発売したいう記述がある(「当社では52年6月に他のボトラーに先がけて、本社第2ラインにパストライザーという加熱殺菌装置を設置し、製造工程を新しくすることによってニュータイプのファンタ グレープの製造に成功した」とある*12これは現実を反映していると思うが、昭和52年にゴールデン・グレープも発売した期間があってもおかしくはない。53年に併売を続けたかどうかは判断できないが)。
どちらにしても北海道の方で「ファンタ・ゴールデン・アップル」を飲んだという証言があれば、「ゴールデン・グレープ」は体験していない上での経験という蓋然性が高く、記憶の「混同」など起きようもない。
北海道在住者の「ゴールデン・アップル」体験は、他地域に対してポイントで20倍の価値があるのだ。
そして(表が完全ではないが)全体としては、通常版「アップル」が昭和49年、50年に先行したことで、「アップル」の経験が行われ、その後に「ゴールデン・グレープ」を、昭和50年7月以降に経験している者が多い傾向だ、という結果がみえた。
利根・北陸・三笠・四国の各ボトラーは、1年前後のタイムラグである。
(通常版アップルとゴールデン・グレープが同年に発売されたかも知れないのは東京のみだ《ただ発売月までが不詳なだけで、近畿のように、東京も両者の発売月が昭和50年のなかでずれている可能性はある》)。
この表は、地域のボトラー別の商品発売時期を無視したまま、「記憶混同説」を全国一律に当てはめることには問題があることを示しているといえよう。
通常版アップル味のファンタに先に接していたのに関わらず、「ゴールデン・グレープ」を後から飲んで《しかも、色が薄いという、子どもには小さくない衝撃付で》、「おれはグレープを買ったけど、アップルを飲んでいた」という混同は起きることはありえない。
先に飲んでいた通常版の「アップル」が「第三のファンタ」としてのエピソード記憶で保持されており、そこに、「色が薄くてびっくりなゴールデン・グレープ」のエピソード記憶が後からやってくるが、両者は混同されず独立した挿話として併存できるのだ。
さらに「ファンタ・アップル」が先行発売していても、個々の子供で通常版アップルを飲んでいない事例も当然あろう。つまりファンタの第三の味が「ゴールデン・グレープ」だった場合である。 これも論破は簡単である。
これは生後から「ゴールデン・グレープ」の飲用時まで、アップル味がする炭酸飲料の飲用経験がないケースとなる。 よって「ゴールデン・グレープ」だけを飲んでいる子どもであるのに、どうして未知の「アップル」味と混同して記憶が起きるのか? が説明できないではないか。
先に説明したように、炭酸飲料の世界でアップルフレーバーは99%、通常版「ファンタ・アップル」で最初に経験するはずなのだ。
炭酸のアップル味を飲んだことがある子供はほぼいないのであるから、「ゴールデン・グレープ」を飲んだときに、「薄くてもグレープ」の味がするという経験だけは記憶するが、「これはアップルかも、アップルに違いない」などと考えもつかない事になる。
混同する記憶が形成される可能性は、個人の体験ごとに検討しなければならないのだが、今回ばかりは、「アップル味の炭酸飲料がレア」という特殊事情があるため、ファンタの通常版アップル味を先に飲用していても、いなくても、どっちにせよ同じ結果(記憶の混同は起きない)ということになるのだ。
1.3.11 「ファンタ」第三の味は強烈な記憶となるはず
文献調査(国会図書館デジタルコレクション)では、北海道・仙台・東京・山陽・近畿・北九州のボトラーズに於ける「ファンタ・レモン」の発売は昭和54年であった。
ほかに、富士・中京では昭和51年にレモンが発売されていた(『食品マーケティング便覧1980 中巻』はこの昭和54年時点でファンタ・レモンを発売しているのは「全国8ボトラー」*13と記述しているため、上記の8ボトラー以外では未だファンタ・レモンが発売されていない事になる。
ファンタ・レモンの一番早い発売は昭和51年であるから、第三の味は全国的に「ファンタ・アップル」で決定するといっても良いことになる。
ファンタのオレンジ・グレープに次ぐ第三の味は「アップル」だったのだ。
オレンジ・グレープしか存在しなかったファンタに新しく通常版「アップル」が加わったことは、非常に記憶に残ることになると、筆者は断言できる。 賛成してくれる方も多いのではないでしょうか。
ファンタ・アップルとファンタ・ゴールデン・グレープがあったために、「ファンタ・ゴールデン・アップル」という記憶が生まれたのだという「記憶混同説」は、挿話として強烈な印象を残すファンタの第三の味の面からも納得しがたい。
子供の玩具に置き換えて考えてみよう。
例えば、3歳頃に自分の手元には、親が買い与えたパトカーと、乗用車(セドリック)のミニカーがあったとする。当初はこの二台を持って遊んでいた。
そして、4歳の誕生日プレゼントということで、玩具店に連れて行かれ、そこで赤い消防車のミニカーを選択して購買したとする。 子供にとっては、それまで持っていなかった新しい種類のミニカーを入手した、印象深い出来事となる。しかも消防車を入手すると、あたらしくパトカーとセットで「緊急ごっこ遊び」も展開できるようになったのだ。
その後、5歳のクリスマスプレゼントで、また近所の玩具店に親と一緒に行って、その時は黄色い道路作業車のミニカーを見つけ、これを買って貰った。
何年もたってからミニカーのことを回顧した際、 「最初に買ってもらったのは救急車ではなく、道路作業車だった」 と、記憶が入れ替わるだろうか。
もちろん、人間の記憶違いが絶対に起こらないとはいえない。
しかし、乗用車とパトカーという限られたラインアップに、新しい「消防車」が加わったという経験は、パトカーと消防車とのセットとなったこと自体が記憶に残る契機となる。
まして、ファンタ・アップルとファンタ・ゴールデン・グレープという、「味覚的」に異なる商品を実際に飲んだ経験があれば、その二つの商品の記憶が作用した結果、別の商品名「ファンタ・ゴールデン・アップル」が生まれたとする説明には、相応の根拠が必要であろう。
子供が商品を取り違えるはずがないという話を、もう少し続けたい。
子供時代を思い出してほしい。 好きなお菓子を買うとき、味の違いを気にしなかっただろうか。
例えば、ポテトチップスに「うすしお味」と「コンソメ味」があり、そこへ新しく「のりしお味」が加わったとする。
子供は、見た目が似た袋に入っていても、味の違いを意識して選ぶものだ。
新しい味を初めて食べた経験も、それまでの味との違いがあればこそ、印象に残るものになるでしょう。
それなのに、何年も経ってから「自分が初めて食べたのは、のりしお味ではなく、コンソメ味だった」と記憶が入れ替わる事があるだろうか。
もちろん、記憶違いが絶対に起こらないと完全に否定はしない。
だが、似た商品があったというだけで、本人が覚えている体験を簡単に勘違いと決めつけるのは乱暴ではないだろうか。
「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」、あるいは歴代の「仮面ライダー」のように、同じシリーズに属し、見た目や設定に似たところがあっても、子供たちはそれぞれの微細な違いをよく覚えていた。
好きなものだからこそ、種類や順番、新しく登場したものに敏感だったのである*14。
ファンタも同じではないだろうか。長年親しんできたオレンジとグレープに、新しく通常版アップルが加わる。さらに、グレープ味なのに従来の紫色とは違う、黄金色のゴールデン・グレープが登場する。
子供にとって、これらは単に名前の似た飲み物が増えたというだけの話ではない。味や色、商品名の違いを実際に体験する出来事だったのである。
子ども時代に新知識を覚えるとか、新しい商品に遭遇する、初めて使う・飲む・食べる・吸うという五感を刺激する体験は人生上、非常に印象に残ることである。
大人になると子どもの時の感性を忘れがちではあるが、生まれて20年くらいまでは、人生で遭遇するほとんどの出来事は新たな経験である。
そこには喜怒哀楽や驚き、悲しみ、快感、満足、陶酔など様々な感情を伴っていたはずである。
大人になると、余りそのような新奇な経験は少なくなる一方なので、未経験の目新しさが減って面白くないともいえる。
「ゴールデン・グレープを飲んだ記憶が、ゴールデン・アップルという記憶にすり変わってしまった」
という説明をするのであれば、そうした体験の違いが、なぜ混同されてしまったのかを説明する必要があるだろう。
商品名に「ゴールデン」が共通していることや、色が薄いから黄金色で共通だったとかだけで、別の商品を飲んだ記憶まで生まれたとするのは、説明として十分ではない。
色は薄くても味はブドウ、名前には「グレープ」と付いている。それを「アップル」と取り違えて記憶するというのは、自分が子供の頃、味も名前も区別できなかった、と自ら認めるようなものではないか。
自分で買ったものだから、何を飲んだかくらいは覚えている。
話を戻して整理する。
「ゴールデン・アップルはゴールデン・グレープとの混同」という説は、次の点で説明不足である。
第一に、色が似ていても「アップル」と「グレープ」を混同しない。
リンゴ味とブドウ味は香り・味が明確に異なる。
児童ら消費者がずっと「アップルだと思ってゴールデン・グレープを飲んでいた」とは、非常に考えにくい。
第二に、昭和50年当時の子供は商品にこだわりがあった。
大事な小遣いで選び、購入した清涼飲料の記憶はむしろ鮮明である。これまで単に「グレープ」だったのに、ある日いきなり「ゴールデン・グレープ」と「ゴールデン」の修飾を冠したことは印象的だった。
第三に、「薄くてグレープの印象は打消されてしまったのに、グレープの味がする」ことが衝撃的であり、記憶の混同は起こりにくい事だ。
特に飲用中に「アップル」を飲んでいると勘違いするのは考えにくい。
仮に百歩譲って「無果汁飲料の味はイメージ」で、子供が勘違いをするとしても、それは中身の見える「瓶飲料」の話であって、「缶飲料」の場合だと説明にはならない。
昭和50年には、すでに缶飲料は自販機などで当たり前に買える時代だった。
第2章:企業公式見解には限界がある
2.1 ネット上で紹介される「公式見解」
ネット上では、日本コカ・コーラ社が「過去に日本国内でそのような製品を販売したことはありません」と回答した、と紹介されている。
紹介元の一つは、くりまんじゅう「ファンタ・ゴールデンアップル」(2007年10月11日)である。*15
ただし、筆者は日本コカ・コーラ社が発した回答の原文や公式文書を確認できていない。
このため、上記の文言を、確認済みの公式声明として引用することは避けたい。
まずは「そのような回答があったとネット上で紹介されてきた」という程度で位置づけるのが妥当であろう。
仮にこの公式回答自体は正確であったとしても、回答時点で会社側がどの資料を調べ、どの範囲の商品を対象としていたのかが分からなければ、そこから導ける結論には限界がある。
日本コカ・コーラと各地のボトラーはフランチャイズ方式で、製造・販売役割を分担してきた。
ボトラーズ各社の独自判断による販売があれば、地域限定商品は本社の記録に残らない場合がある。
特定地域でのテストマーケティングや限定販売も、正式な商品として記録されないことがある。
短期間で終了すれば、「なかったこと」にされる可能性もある。
地域ごとの販売実態を調べるには、本社資料だけでなく各ボトラーの社史、製品便覧、広告、容器や王冠なども照合する必要がある。
そして地方のボトリング会社による地域限定販売やテスト販売だった可能性を挙げるだけで、実際に発売されたと証明できるわけでもない。
販売の有無は、その地域・時期を示す具体的な資料によって検討する必要がある。
2.2 2002年の「ゴールデン・アップル」発売の意味は?
2002年10月、なぜかコカ・コーラ社は「新フレーバー」としてゴールデンアップルを発売した。*16
これは、次のように解釈できる。
一つは「都市伝説」の商品化である。
ネット論争を逆手に取り、「伝説を現実にした」という話題性で販売した、という読み方だ。
二つ目は「かつて存在した商品」の復刻である。
1970年代に実際に販売されていた商品を、「新フレーバー」という建前で、実質的には再発売した、という読み方だ。
三つ目は、企業としての「公式化」戦略である。
「なかった」と否定しながら、実際の需要に応えて販売企画を行い、矛盾を「伝説の商品化」という物語で解消しようとした、という読み方だ。
しかも、そこから二度もゴールデン・アップルは販売されている。
公式に過去の発売を否定しただけではなく、なぜ商品として発売したのか。
単に「噂を商品化したら面白かろう」という話題への便乗というノリだったのだろうか。さらに考えを進めると、二つの説明が導ける。
第一は、歴史的事実の切り離し説――「新発売」とすることで過去の問題を封じた、という説である。
コカ・コーラ社が過去の発売を否定していても、消費者の間で商品名が知られ、発売を求める声があれば、同じ名前の商品を新たに販売することはできる。
だが「昔の商品を復刻する」と発表すれば、過去の発売を認めたことになる。
「新フレーバーとして発売する」という形なら、過去の発売を公式に認める必要はない。
商品を販売して商業的利益を得ながら、過去の発売に関する公式見解を変えずに済む。
過去の歴史的主張の否定と、消費者の需要に応える商品販売とを、意識的に切り離した、という説明は成り立つ。
第二は、社内政治説――「おまえらは失敗した」といったメッセージ性を含む、という説である。
陰謀論といわれそうだが、第一の説への対抗仮説として挙げたい。
昭和50年のゴールデン・アップルには何らかの社内問題があり、その商品に関わった部署や関係者が、後年も社内で責任を負っていたと仮定しよう。
2002年に別の事情で同名商品を発売することで、過去の問題に関係した人々に対し、暗黙の牽制や責任の再確認を行った――という筋書きがあるのではないかという読みである。
この背景には、過去のゴールデン・アップルの発売をめぐり、社内で記録や説明に関する諸問題が生じており、その問題に関与した部署と、後年の商品企画を担当する部署との間に、何らかの対立があるなどのいわば社内派閥的な確執がなければならない。
故意にゴールデン・アップルを発売することで、過去の経緯を知る人々へ、何かしらの象徴的なメッセージが届くという可能性がある、という解き方なのである。
2002年10月に「ファンタ・ゴールデンアップル」が実際に商品として発売された際、久須美雅士は当時の記事で、発売と、1990年代から続いていた「ある・ない」論争の経緯を紹介している。*17
ただし、2002年に同名商品が発売されたことだけでは、1970年代に先行するゴールデン・アップルが販売されていたことの証明にはならない。
2002年の商品は、当時のネット上の論争や消費者の要望を背景に新たに企画された可能性がある。
反対に、過去の商品を参考にした可能性も考えられるが、企画書や社内資料などが見つかっていないため、どちらかに決めることはできない。
2.3 2025年の公式発表は「ちゃぶ台返し」か?
2025年10月31日、日本コカ・コーラは同年11月10日から「ファンタ ゴールデンアップル」を期間限定で発売すると発表した。公式発表は、商品を「復刻」と呼び、さらに「他のフレーバーと比較して発売当時の販売期間が短かった」と説明している。*18
これは、本稿執筆時点で確認できる重要な公式資料である。
ネット上では、日本コカ・コーラ社が、 「『過去に日本国内でそのような製品を販売したことはありません』と回答した、との見解」が出され、「ゴールデン・アップル」の存在を否定していたという。 だが、2025年10月31日の「ファンタ ゴールデンアップルを期間限定で発売」という発表では、
「「ファンタ ゴールデンアップル」は、他のフレーバーと比較して発売当時の販売期間が短かったことから、“幻の味”として記憶されている消費者の方も多い製品です。」
と、記述しているのである! 一応、その画面もキャプチャしてここに掲出しておく。
公式が2025年に「否定」を否定。つまりゴールデン・アップルを肯定
「発売当時の販売期間が短かった」というのは、公式が過去の「販売を認めた」ことに他ならない。しかも「幻の味」ともいっている。
過去に否定した公式見解と異なり、上書き更新された現在の公式発表では、「ゴールデン・アップル」を単なる誤記憶として扱うのではなく、過去には発売され、当時の販売期間が短かった商品としてその味の記憶はレアだと紹介しているのだ。
当然、この発表だけでは、1970年代の発売年、発売したボトラー、地域、容器別の販売時期までは分からない。
この見解は衝撃的であり「エポック・メーキング」となる声明だ。
かつてネット上で伝えられた「公式が言ったとされる『ファンタ・ゴールデン・アップル』の発売を否定する回答」を、現在も継承し公式見解として引用するのは、適切ではなくなったのである。
筆者は肝心な「公式が否定回答」した原文を確認できていないと先述したが、もしかしたら「公式の発売否定回答」自体が誰かが捻出した空想のお話であり、実は存在しない可能性さえあり得るのではないか。
この2025年の公式発表は、少なくとも過去に同名商品が発売されたことを前提とした説明を、何の注釈もなく行っているからだ。
本当に公式が過去のゴールデン・アップル発売を否定したのであれば、公式見解の件を変更・修正することについて、多少なりとも触れても良いではないか。
第3章:記憶の集合的な証拠について
3.1 柴門ふみさんらの証言
「飲んだ」という証言は、単なる「思い出話」ではない。以下の具体的な証言をどうするのか。
漫画家の柴門ふみは、書籍で「ゴールデンアップル」に言及している。
創作ではなく、実体験としての言及である。
ネット上にも「昭和50年代に飲んだ」「地元の駄菓子屋で売っていた」という証言が複数あり、地域・時期がある程度一致する。
「金色の缶」「リンゴの香り」「グレープより色が薄い」といった具体的な記憶の共通点は、集団的な錯誤にしては具体的すぎる。
柴門ふみの、『青春とはなんだかんだ』(小学館、1994年)では、次のような記述がある。
「以前テレビで流れていたコカ・コーラのCMフィルムの中に、小学五、六年らしき男の子が若者数名に取り囲まれて映画館の座席に座っているやつがあった。 若者が小学生に言う。 「なんだ、おまえ、コーラ飲んだことないのか?」 「うん」と、小学生は答える。 「飲んでみろよ」 そして、小学生が紙コップに入ったコーラを口にして、「わーっ、おいしい」というオチなのだ。 それで思い出した。私が子供時分、コカ・コーラが飲める小学生は確かに尊敬されていた。 コカ・コーラ、イコール、進駐軍のイメージが強かった。 昭和四十年代は、まだ戦後二十年しかたっていない時期なのだ。小学生は、せいぜいラムネ、であった。ラムネから三ッ矢サイダーに移り、ファンタオレンジ、プラッシーを経て、ファンタグレープ。同じファンタでも、オレンジよりグレープの方が格が高かった。 そして、ファンタグレープをクリアできた者だけがコカコーラにたどりつけたのだ。 三ッ矢サイダーも無理で、渡辺のジュースの素から、キリンオレンジどまりの子供もいた。炭酸入りをこなせるかどうかが大きな岐路であったようなのだ。 私が小学一年の時、訪ねた本家の台所で当時中学二年だった従兄が瓶に入った黒い液体を飲んでいた。 ラベルの真ん中についていたべルマークがはがしにくかった。 オレンジ好きはすぐにアップルやゴールデンアップルに浮気した。グレープ派はあくまでもグレープだった。ライバル商品として、ペプシ・コーラ系のミリンダ、セブンアップ系のチェリオなど。」
と、柴門ふみさんは、ファンタの「アップルやゴールデン・アップル」として、「アップル」の二者併存状態であったからこそ、その点は区別して記述しているのだ。
ここで「アップル」の一語にしてもよい文章を、あえて「ゴールデン・アップル」も並列していることには注目するべきだろう。
グレープ好き派はグレープ一途であり、オレンジ好き派だと、アップルかゴールデン・アップルのフレーバーに浮気するという。
そしてグレープ好き派はオレンジ派と異なり、グレープだけを飲むということからも、先述した「アップルとグレープの混同」までも否定されるのだ(柴門さんの文章を借りればオレンジ派がオレンジとアップルを混同する可能性はあるという事になる)。
ただし、柴門ふみさんは、昭和32年(1957年)9月6日生まれであるから、「オレンジ好きはすぐに~」以降の記述は、「小学一年(昭和39年(1964年)4月1日〜高校2年(昭和49年(1965年)3月31日)」の体験ではなく、18歳の高校3年頃の体験だろう。
森博嗣の『すべてがEになる』(幻冬舎、2000年)では、
「今度は、ファンタのゴールデンアップルのメールをいただきました。はい、森は覚えております。あれ、今はないのでしょうか(望遠)。ジャフィというビスケットも近見かけないのです」
とある。
3.2 マンデラ効果の逆説
「マンデラ効果(集団的記憶の錯誤)」説は、次の点で逆説的である。
第一に、「じゃあ、ゴールデングレープはなぜ記憶されたのか」という問いに答えられない。
「ゴールデングレープが販売されていたのは、1975(昭和50)年7月から1977(昭和52)年7月の、わずか2年間だけだったことになる。」*19 と、同ブログは述べている。
エクセルの表をみればわかるが、そう簡単な問題ではない。仙台や三国コカ・コーラボトリングでは昭和50年から54年まで4年も販売されている。

まあ、そこまで調査できないのはプロのライターでないだろうから仕方ないが、 「ゴールデン・グレープ」の薄い色を見て、これは「ゴールデン・アップル」だとほとんどの人が混同するほどなら、逆に「ゴールデン・グレープ」という商品があったという記憶が残らないだろうに? という矛盾は解決しないのだ。
「ゴールデン・グレープ」と正しく記憶した人と、「ゴールデン・アップル」と記憶した人が併存する理由についても、個別の証言を照らし合わせた説明が必要である。
第二に、通常版「アップル」と「ゴールデンアップル」の区別がある。
ファンタアップル(昭和49、50年発売)は明確に記憶されている。「ゴールデン」が付くことで、付かない先行の通常版「アップル」と区別されていた可能性はないのか。柴門ふみさんのように、明確に二者を覚えていた方もいる。
第三に、地域差・世代差の存在がある。
「飲んだ」という証言は、特定の地域・世代に偏っている。全国的な同時展開ではなかった可能性を示唆している。
「マンデラ効果」と雑にまとめて、何か分かったフリにする風潮自体に、筆者は不平がある。
私は「フット・イン・ザ・ドア効果」とか「ハロー効果」といった、現象や言動への名詞化の命名は、研究論文には貢献するかも知れないが、市民がブログや日常生活に使用することには違和感を覚える。*20
日本心理学会自身も、心理学を「人の心を読むテクニック」や「マインド・コントロール」ではなく、人間の心を客観的に把握しようとする科学だと説明している。
人間の日常的な行動そのものを研究対象とするため、誰もが「自分は人間を知っている」という経験知を持っている。
そのため、専門的な実験・調査・統計によって得られた知見と、個人的な経験や俗説との境界が曖昧になりやすい。*21
第4章:ゴールデン・アップル販売の可能性
4.1 着色料問題との関係
1970年代、ファンタグレープの合成着色料に発がん性への懸念が指摘された。
この件はネット上では単に「合成着色料の問題」として記述されていることが多いが、事は単純ではなく、複数の問題があるのである。
これを、部外者で情報に接する限界がある筆者が、コカ・コーラの社史などによって、わかる範囲を時系列でまとめると下記になると考える。
まず、前提として昭和44年頃から消費者団体(主婦連や生協連合会など)がファンタの色素を問題視して、攻撃・報道されていた(当時、禁止されていない安全な色素を使用しているとコカ・コーラ側は主張していたのに)
↓
おかげでファンタの売れ行きは半減(東京コカ・コーラの場合) 消費者団体は「合成ではなく、天然のものにしろ」と求めた
↓
昭和48年5月に、「ファンタ・グレープ」に500mlびんが追加発売された*22
↓
だが、「ファンタ・グレープ」に500mlびんに、日本消費者連盟・生協などが、「使用しているタール系色素はガンを誘発する」と、安全性の懸念や批判が高まり、販売は「ノー」だと反論された。
↓ 昭和49年7月、「ファンタ・アップル」200ml瓶レギュラーサイズ、10月に500ml瓶と缶の250mlが発売(年月は一番早かった、富士コカ・コーラボトリングの場合)
↓
昭和49年年末に「HI-C」ブランドの「アップル」(255cc缶)発売
↓
昭和50年4月、日本コカ・コーラ社は、消費者団体に対応し、ファンタは「天然着色料」に転換
- オレンジ……ベータ―カロチン
- グレープ……ぶどう果皮色素(アントシアニン)とカラメル
↓
だが50年5月下旬に、日本コカ・コーラ社傘下の各地のボトラーで、「ファンタ・グレープ」の瓶などに天然のアントシアニン成分が「白色沈殿」する現象が多数発生
理由は「ぶどうの果皮から抽出した色素の中でイースト菌が生きていたから」だ 市場から、自主的に全面回収し、「ファンタ・グレープ」の製造は停止 ↓
7月末頃になって利根コカ・コーラら地方ボトラーは、「カラメル」だけで着色した、「ファンタ・ゴールデン・グレープ」の瓶・缶を発売
↓
天然カラメルで着色していたが、色のイメージからグレープを訴求しないため、売れ行きが振るわなかったとされる コカ・コーラ社はなんとか濃い色の「ファンタ・グレープ」を作りたかっただろう
↓
製造工程に温熱殺菌(パストライザー)を加えることで沈殿物の問題が解決された。 アントシアニンを用い、もとの紫色の「ニュー・ファンタ・グレープ」が再登場。
時期については、公開資料間で年・月の記述に違いがある。全国的な概略年表をそのまま個々のボトラーの発売・終売年に当てはめず、各社の社史や当時の製品資料で確認する必要がある。
4.2 ゴールデン・アップルは地域・期間限定商品だった?
ゴールデン・アップルの発売時期や販売地域を考える際には、最初から全国一斉発売だったと仮定せず、ボトラーごとの発売記録を確認する必要がある。
日本コカ・コーラが製品の企画開発やマーケティングを担い、ボトラー各社が製造・販売を担う仕組みでは、地域ごとに導入時期や取り扱い品目が異なることがあった。*23
そのため、特定地域での試験販売や、販売期間が短かった可能性も仮説として検討できる。ただし、ゴールデン・アップルが実際にテスト販売品だったと示す一次資料は、現段階では確認できていない。
たとえば、東京・静岡など特定地域で先行販売され、販売実績を見たうえで各地域のボトラーが導入の可否を判断したという仮説も考えられる。
また、ゴールデン・グレープに続く「ゴールデン」シリーズの一商品として、複数のフレーバーを順次展開する構想が存在した可能性も考えられる。
ただし、現時点では、ゴールデン・アップルが実際に地域限定のテスト販売商品だったことや、シリーズ展開が計画されていたことを示す一次資料は確認できておらず、いずれも仮説の域を出ない。
販売期間についても、短期間で終了した可能性がある。
ゴールデン・グレープの場合、着色料の問題が解消された後、通常のグレープが復活するまでの期間は、地域や発売時期によって異なっていた。
仮に、先行して発売された地域では3~4年間も販売されたが、一方、発売が遅れた地域では1~2年程度で新しいグレープ品に切り替わっている。
そうであれば、ゴールデン・アップルも1~4年程度の短期間だけ販売された可能性は考えられる。
ただし、これはゴールデン・グレープの販売経過を参考にした推測であり、ゴールデン・アップルの実際の販売期間を裏付けるものではない。
地域によってはゴールデン・グレープとゴールデン・アップルが併売されていた可能性もある。
「色が薄い」ため、ゴールデン・グレープの販売が振るわなかった事実はある。
そのために、売り上げのテコ入れ商品として「第4のフレーバー」が期待されたかも知れない。
あるいは「ゴールデン・グレープ」という思わぬ商品の誕生を奇禍として、セカンド・ブランドラインとしてゴールデン・シリーズを立ち上げるという思惑があって、「ゴールデン・アップル」が投入されたという筋書きも想定できる。
だが、商品テコ入れやゴールデン・シリーズ化の試みの事実を示す具体的な資料がない以上、これらは推論であり断定はできない。
第5章:なぜ「ゴールデン」を冠するのか
5.1 「ゴールデン」を冠するマーケティング手法
当時を知っている元小学生には自明だが、ファンタの通常版「アップル」と、「ゴールデン・アップル」は別商品である。
ボトラーごとに発売年月は前後するが、通常版ファンタアップルは昭和49年から発売済みだった。
ファンタ・ゴールデン・グレープは昭和50年に発売された。
おそらく「ゴールデン・グレープ」の発売によって、日本コカ・コーラ社でも商品名に「ゴールデン」を冠する前例ができたため、昭和49年に発売した通常版の「アップル」と区別して、「ゴールデン・アップル」を発売した可能性が考えられる(当時はまだ、マーケティング戦略で商品名に「プレミア」とか「極」を接頭する時代ではなかった)。
昭和40年代後半〜50年代前半にかけて、消費者向けの名詞に「豪華さ」や「高級感」「特別感」「稀少性」「通常品よりも上級や高品質」を付加するため、それまでの単純な「ニュー」「ハイ」「ネオ」「ウルトラ」「スーパー」「デラックス」「ビッグ」「スペシャル」に代わって「ゴールデン」を冠する風習が非常に盛んであったことも影響しているのだろう(ゴールデンという表現自体は1960年代からある)。
ただし「ニュー」「ハイ」「ネオ」「新」は、高級化などの差別化というよりも、先行した旧商品に続く改良型・第二世代を連想させるものだ。
昭和20年代、30年代に発売された従来品の内容や仕様、成分を改めた商品であることを訴えるのである。よって旧商品との時間的なつながりや変更が意識される。
「ゴールド」「ゴールデン」は、金色の外観や特別に製造した、高級感などを連想させるが、必ずしも原材料の品質向上は意味しない。
当時の日本は、高度経済成長のピークから石油ショックのインフレを受け、安定成長期へと移行する過渡期にあった。
昭和30年代の「とにかく生活を豊かに(家電など三種の神器の様に)」という段階を終え、昭和40年代後半になると、「他のみんなより、少しだけ良いもの、少しだけ豪華なもの(≒プチ贅沢)」を求めるような傾向が強まっていたと考えられる。
当時はまだ、英語の「Premium(プレミアム)」や「Luxury(ラグジュアリー)」「Gorgeous(ゴージャス)」という言葉が一般的ではなく、誰にでも一目で「最高級」「豪華」と伝わる最強のマジックワードが「ゴールデン(またはゴールド)」だったのである。
大衆の消費欲望を刺激するため、様々な分野で「ゴールデン」や「ゴールド」が多用されており、「ゴールデン・グレープ」と、コカ・コーラ商品に冠句されても不思議ではない。
だが中身50円の清涼飲料水であることを考慮すれば、特別や高級にも限度があり、本来の「ゴールデン」の意味を商品の修飾として借用する意図を有していても、実際は「液体の色の連想」だったともいえる。
5.2 「ゴールデン」「ゴールド」が付く商品例(昭和46~52年)
日常の消費財において、「普及品(通常版)」よりも少し高価でリッチな「上位互換・高級版」であることを一目で伝えるために接頭されたと思われる。
●食品
- 昭和46年 ミスタードーナツ「ゴールデンチョコレート」
- 昭和46年 メタル食品工業「メタルインドカレーゴールド」
- 昭和48年 ヱスビー食品「ゴールデン・ディナーカレー」
- 昭和48年 シスコ「ゴールデンポテト」
- 昭和49年 豊年リーバ「ラーマゴールデンソフト」発売
- 昭和50年 スギヨ「ゴールデンかにあし」
- 昭和51年 大久保製麺「ニュータッチゴールド醤油・塩」
●文具
- 昭和47年 コーリン鉛筆「ゴールド芯」
- 昭和47年 セメダイン通商「セメダイン3000ゴールド」
- 昭和49年 三菱鉛筆「GOLD uni(ゴールドユニ)」鉛筆
- 昭和50年 ヒノデワシ「プラ字消しゴールドメダル」
- 昭和50年 キクイチ「ゴールド書道セット」
●化粧品
- 昭和47年 資生堂「ゴールデンメローローション/ゴールデンメロークリーム」
●くすり
- 昭和48年 大正製薬「パブロンゴールド顆粒」
- 昭和48年 三共「新ルルゴールドSカプセル」
- 昭和49年 佐藤製薬「ユンケルゾンネゴールド」
- 昭和50年 オットセイ製薬「オットセイゴールド」
- 昭和52年 佐藤製薬「ユンケル黄帝ゴールド」
●テレビ番組
テレビが完全に家庭の主役だった時代、「豪華なエンターテインメント」を意味する枕詞として定着。昭和50年頃には一般にも、19時〜22時の高視聴率時間帯を指す言葉である「ゴールデンタイム・ゴールデン枠」が認知された。そして番組のタイトル自体に「ゴールデン」と入れて特別感を出す番組もあった。 - 昭和46年 『ゴールデン洋画劇場』フジテレビ系列
5.3 「ゴールデン・アップル」の基本的な意味
「ゴールデン・アップル」という名前は、単なる思いつきではないだろう。
西洋では、古くから「黄金の林檎」というイメージがある。ギリシア神話では、ヘスペリデスの園の黄金の林檎は不老不死を与えるとされ、ヘラクレスがその入手を命じられた*24。
北欧神話でも、スキルニルが美しいゲルを説得するために贈られた11個の「金色のリンゴ」の例を挙げている*25。
西洋では「黄金の林檎」=特別な力・美・不死・欲望の対象、という強いイメージがある。日本でも、翻訳文学や児童書を通じて「黄金の林檎」は知られていなくもない。
「ファンタ・ゴールデン・アップル」という名前は、先述した日本における商品の特別さを示す装飾語、「黄金色のりんご味」という、色と味を同時に訴求する接頭語だった可能性がある(昭和53年にはエバラが「焼き肉のたれ 黄金の味」を発売したように特別感を醸し出す機能が付与されていた)。
同じく「ゴールデン・グレープ」も、「黄金色のぶどう味」という命名であり、アップル、グレープでシリーズ化を開始する企図があったのではなかったかとも筆者は推測している。
第6章:発見されたゴールデン・アップルの文献
6.1 国会図書館デジコレの『秋田魁年鑑』
まず、『秋田魁年鑑』昭和51年版(秋田魁新報社、1975年)を見てほしい。 みちのくコカ・コーラボトリングの広告には、次の記述がある。
「厳重な検査のもとに、コカ・コーラ、ファンタオレンジグレープ、ゴールデングレープ・アップル、クラブソーダ、スプライトを生産しております」
とある。
『秋田魁年鑑』昭和55年版(秋田魁新報社、1979年10月)の広告には、次のようにある。
「厳重な検査のもとにコカ・コーラ、ファンタオレンジ・グレープ・レモン・アップル・クラブソーダ、スプライトを生産しております」 とある。

異なる商品のあいだは「、」でつなぎ、同じ分野のファンタシリーズは「・」でつないでいる。このとき「クラブソーダ」は「ファンタ」ファミリーである。
ゆえに昭和53年版の「ゴールデングレープ・アップル」の「・(中黒)」は、「ファンタ」ファミリーの中で、さらに「ゴールデン」系統として「・」でつないだことになり、「ゴールデングレープ・ゴールデンアップル」の意味と解せる。
そうでなければ、「ファンタオレンジグレープ、ゴールデングレープ・アップル・クラブソーダ、スプライト」と、「・」で「クラブソーダ」を含めるはずだ。
だが実際には「、クラブソーダ」と、ゴールデン系と明確に区別している。
二つの広告を比べると、昭和55年版では「アップル」がファンタの品目として列挙されていることが分かる。
一方、昭和53年版の「ゴールデングレープ・アップル」という表記については、中黒と読点の使い分けから二つの商品名を読み取れる可能性があるものの、広告の句読点が商品名の区切りを厳密に示しているとは限らない。
筆者は、昭和53年版の記載を「ゴールデン・グレープ」と「ゴールデン・アップル」の二商品を指すものと解釈している。 ただし、当時の担当者の気分で記号を使ったとか、写植担当者が適当に打ったという反論を受けると弱い。
担当者が商品名をどのように区切る意図で中黒を用いたのかを示す説明資料は、現時点では確認できていない。
したがって、この広告は補助的な資料として位置づけ、商品名と容量・価格を明記した次の『飲料商品便覧1979年』の記載とは、証拠の強さを分けて扱う。
6.2 国会図書館デジコレにあった手書きの資料
次に、明確に「ファンタ・ゴールデン・グレープ」と書かれた資料を示す。
ゴールデン・アップルに関する資料が存在することで証拠としたい。
工業市場研究所食品マーケティング部発行の『飲料商品便覧1979年』である。
以下の画像は、筆者が国立国会図書館デジタルコレクションで確認した記載の転記である。*26
この本の「1978年発売中止商品一覧」の中に記載があることを画像でお示ししたい。
111頁最下段の北九州コカ・コーラボトリング欄には、「ファンタ・ゴールデン・グレープ」の下に、 ファンタ アップル 500ml瓶 卸価格66.70円 小売価格 80円 ファンタ アップル 200ml瓶 卸価格39.17円 小売価格 50円 と書いてあるのは見えますね。

111頁では、「ファンタ・ゴールデン・グレープ」の下の行に「〃」が用いられている。 同じ商品名を何度も書くのは疲れるからだ。ただ、この「〃」が示すのが「ファンタ」だけなのか、「ファンタゴールデン」まで含むのかは、範囲が判然としない。
この文献は手書きであることが重要だ。
リストの向こうには、版元で版下を書く事務担当者(仮に山田よし子とする)がいたんですね。
パソコンのない時代、手書きでリストを書くのは大変だ。 よし子(仮名)はきっと、「毎日毎日、アパートと会社の往復だ。しかも商品と数字ばかり書いていて、つらい」と感じていただろう。 面倒くさい。疲れたと思っただろう。 だがパソコンのない時代、よし子はパソコンの存在さえ知らない。 手書きでやるしかない。
そこで疲労を軽減する対策として、よし子は商品名が共通するときは、あちこちで「〃」で済ます方法を編み出したのである。 もちろん課長の許可は得た。 この書式全体も手書きで、ノンブルはゴム印だ。 よし子は不器用だったので、竹の物差しで線を引くのも曲がってしまい大変だった。
この表を作るのは、現代ならすぐできるが、当時は大変な作業だった。 1日8時間労働で、5ページから8ページしか書けないのではないか。
さて表に戻る。 上記の2品のほかにもう一つ、ファンタの缶製品がある。
書く行が足りなかったため、よし子はページを替えて、ノンブル「112」ページに書いた。 「あと1行あったらちょうどよかったのに。もう。」 と、よし子は地団駄を踏んだかもしれない。 (一行だけの近畿と順番を逆にすれば良かったと、臍を噛んだかもしれない)
さすがに次のページの一番上で、前のページの最後の行の「ファンタ」と同じですからと、 「〃」から書き始めるのは、「横着だ」と、 真面目なよし子は考えたのだろう(よし子、えらいぞ!)。
きちんと、よし子は北九州コカ・コーラボトリングの1行だけ残った、長ったらしい商品名をファンタから書くのだった。それが、
「ファンタ・ゴールデン・アップル」 250ml缶 卸価格56.67円 小売価格70円 だったのだ。

この記載は、前頁の省略記号の解釈とは別に、商品名を省略せずに記したものとして重要である。
便覧の該当欄が「1978年発売中止商品一覧」であることから、本稿では、これをもって北九州コカ・コーラボトリングでは「ファンタ・ゴールデン・アップル」250ml缶が昭和53年に発売中止となった商品として記録されていた、と判断する。
「ファンタゴールデンアップル」 250ml缶が北九州コカ・コーラボトラーズには存在していたことがおわかりいただけただろうか。
おそらく、この資料に対して「手書きだから、単なる『ファンタ・アップル』を書くのにミスした可能性があるかも」と突っつく人物が出現する可能性がある。
その点は手書きならではの、反論が可能だ。
何度も説明してきたように、よし子は「面倒くさがり屋さん」で合理主義の現代っ子だったのだ。
なんで、せっかく「ファンタアップル」で済むのに、あえて、「ファンタゴールデンアップル」と疲れることをするだろうか? 朝から延々と文字を書いているのだ。できれば省略できるところは書きたくないという気持ちが、心の中に満載である。
しかし、それは、「ファンタゴールデンアップル」という商品だったのだ。
この時代にファンタゴールデンアップルと書いたことをどう評価するのよ? とも反論できる。よし子はファンタゴールデンオレンジという間違いはしていないし。
このころのよし子は、まさか何十年後に「ファンタゴールデンアップル」が「ある」とか「無い」とかの対立を生むとは知らない。
ただただ、「なげーよ」とうんざりしながら、残した1行を書いていたんだろうなあと、心中を慮るだけである。
もちろん、手書きの資料である以上、転記ミスの可能性が論理的にゼロになるわけではない。
だからこそ、商品名だけではなく、前後の項目、容器容量、卸価格、小売価格、掲載欄の見出しを一体として確認して欲しい。
単に名前が書かれているというだけでなく、商品便覧の発売中止商品リストに具体的な容量と価格を伴って掲載されている事実。この点を、本稿では重要視している。
第7章:資料からどこまで言えるか
7.1 同時代資料が示すこと
本稿で最も重視する資料は、工業市場研究所食品マーケティング部『飲料商品便覧1979年』の「1978年発売中止商品一覧」である。
筆者が国立国会図書館デジタルコレクションで確認した112頁には、北九州コカ・コーラボトリングの商品として「ファンタ・ゴールデン・アップル」250ml缶が、卸価格56.67円・小売価格70円とともに記載されている。*27
この資料の見出しを正しく読み取れているなら、少なくとも北九州地域において、昭和53年(1978年)に販売中止となった商品として「ファンタ・ゴールデン・アップル」250ml缶が記録されていた、と判断できる。
発売年そのものや、販売開始月、他地域での販売の有無までを直接示す資料ではないが、商品名・容量・価格を伴う同時代の記載として重要である。
『秋田魁年鑑』昭和53年版には「ゴールデングレープ・アップル」という記載があり、昭和55年版にはファンタの商品として「アップル」が記載されている。
これらもボトラーの製品記録を考えるうえで参考になるが、昭和53年版の中黒の意味は一義的ではないため、単独では「ゴールデン・アップル」と読める決定的な根拠とはしない。
柴門ふみや森博嗣の著書、ブログの投稿には、「ゴールデン・アップル」という名称についての記述や記憶が残されている。
こうした証言は、名称が後年の人々の記憶や記述に現れたことを示す。 ただし、それだけで発売したボトラー、発売年、商品容量を確定できるわけではない。
筆者自身の記憶も同様に、研究の出発点として大切にしつつ、文献資料とは区別して扱う。
7.2 証拠と仮説を分けておく
本稿で示した資料から、ゴールデン・アップルの販売時期や商品形態を全国一律に確定することはできない。
ボトラー別に販売時期・容器構成が異なったという前提に立ち、今後は各地の製品便覧、広告、社史、現物容器や王冠を照合する必要がある。
また、「ゴールデン・グレープとの混同」説は、証言の一部を説明する可能性がある一方、地域差や証言者ごとの経験を無視して全員に当てはめることもできない。
記憶が鮮明であることは正確さを保証しないが、資料に記載がないことも、それだけで存在しなかった証明にはならない。
異なる種類の証拠を比べ、何を支持するかを個別に評価することが大切である。
本稿では、商品の発売状況を調査した結果、北海道在住者が昭和50年代の記憶として「ファンタ・ゴールデン・アップルを飲んだ、見た」という証言(オーラル・ヒストリー)には、他の地域よりも、一層、信が措けるという根拠を明らかにした。
2002年には「ゴールデン・アップル」商品が復刻発売された。
2025年の日本コカ・コーラの公式発表は同商品を「復刻」と呼び、発売当時の販売期間が短かったと説明した。
この事実は、「公式がゴールデン・アップルの発売を否定した」という旧告知を初期化して、現在の公式説明を理解するうえで重要となった。 だが、1970年代の地域別発売年を特定する資料の代わりにはならない。
第8章:仮説としての「黒歴史」説
これまでの論旨によって、ゴールデン・アップルは「決して存在していないもの」ではないことを主張してきた。
以下はかなり穿った見方であり蛇足だが、企業行動の「面子」「黒歴史」「糊塗策」という視点から、「ファンタ・ゴールデン・アップル」の存在について再考する。
《この章は、確認できた事実ではなく、筆者が考えた仮説を整理する章である》
8.1 品質問題が資料保存に影響した可能性
合成着色料が消費者団体や大学生協に問題視され、「天然」の着色料で製造したものの、「ファンタ・グレープ」に関しては、「技術的理由」で「白濁」が発生し、一時的に製造・販売が中止になり、同社が自信があった天然着色料さえ不使用とする「代替商品」(ゴールデン・グレープ)の開発が必要となる事態となってしまった。
この一連の流れをみると、清涼飲料業界の有力企業になりつつあった日本コカ・コーラ社にとって、製品の品質問題は望ましい事態ではなかっただろう。 ただし、会社がどのように受け止めたかを示す社内資料は、ここでは確認できていない。
こうした経緯から、「会社にとって好ましくない商品史として扱われたのではないか」と想像することはできる。
ただし、隠蔽の動機が実際にあったと示す資料はなく、この考えは検証を要する仮説である。
企業の社内政治や責任回避が歴史に影響する可能性は検討できるが、「陰謀論」で一笑に付されないためには、個別の事例で記録や証言による裏付けが必要だ。
8.2 昭和40年代のコカ・コーラ社は事件・事故・噂だらけ
昭和30年代から50年代にかけて、日本の清涼飲料市場は大きく変化した。コカ・コーラの日本市場参入に際しては、国内の清涼飲料業者から反対の声が上がり、全国清涼飲料工業会なども関わる業界上の対立が生じたことが、研究論文でも論じられている。*28
当時のコカ・コーラ社をめぐっては、着色料への消費者の懸念だけでなく、容器の安全性や販売促進の方法など、さまざまな問題が議論された。
これらを「会社が事件・事故を隠した証拠」と一括りにするのは適切ではないが、当時の企業活動と消費者の関係を理解する背景として確認しておきたい。
1970年代、日本コカ・コーラは、販売権利金という多額の寄付金(百万単位)でボウリング場や遊園地と取引し、他社製品の販売を排除する「排他的取引」を行っていた。公正取引委員会は、これが独占禁止法違反に該当するとして調査した。
コカ・コーラホームサイズの瓶が割れて失明事故(昭和46年7月17日)が起き、一時製造中止となった。
さらに昭和47年1月7日から、「割れないホームサイズのコカ・コーラびん」として安全性を謳って再発売されたが、5月に福岡で開栓時にまた割れて破片が飛び散った。
消費生活センターがコカ・コーラへ連絡し、調査すると、開栓前の瓶に衝撃が加わったものとされた。
当時の技術の限界もあり、流通段階で瓶を愛護的に輸送するしかない事態だった。ただCMで「割れない」と放送すると、消費者が「絶対に割れない」という印象を持つので、誤認を生む宣伝はしないように、と申し入れられた。
レギュラーサイズ瓶の爆発で神経を損傷したのに、東京コカ・コーラの対応に誠意がない、という事件も発生した。
昭和47年7月8日、パン店の経営主女性がコカ・コーラ瓶を拭いていたところ大爆発し、右手を4cm裂傷、神経が知覚麻痺となった。
後遺障害でパン店経営に支障が出たが、事故後の対応に被害者は憤慨した。
日本消費者連盟は通産省、農林省へ、瓶の修正やガス圧低下を要望し、不可能なら発売中止を求めた。
報道後、東京コカ・コーラは態度を改め、お詫びと補償(治療費全額・損害賠償・慰謝料)を行い、破瓶対策を継続した。
通産省は瓶のリサイクル回数の減数や検査強化を行政指導し、早期に安全な瓶のJIS規格設定を表明、農林省はコカ・コーラと清涼飲料業界へ事故防止強化を通達した。
炭酸飲料の瓶の破損は国会でも取り上げられている。
昭和48年4月4日の衆議院商工委員会では、政府側の説明として、昭和46年のコカ・コーラ関係のホームサイズ瓶の破裂事故が213件あったこと(眼球傷害2件、縫合手術43件、その他168件)、昭和47年には対策後に件数が減ったことが述べられた。*29
なお、この頃はサッポロビールのビール瓶も破裂するなど、当時の技術と流通では防止できなかった様子で、瓶の破裂事故は起きていた。
コカ・コーラの瓶が特に脆かったわけではないが、「割れない瓶」とテレビなどでCMするのは勇み足だったろう(その後、缶やPETボトル化が進んで良かった事の一つだ(これはこれでゴミ問題を誘発したが))。
また、昭和44年には発がん性のおそれを理由として、人工甘味料チクロの食品添加物指定が取り消された。*30。
当時は食品添加物や製品の安全性をめぐる議論があり、消費者団体が商品や表示に関心を寄せるようになっていた。
本稿で問題にしている着色料の変更も、こうした時代背景の中で考える必要がある。
ここで留意したいのは、当時の規制や報道で問題とされたことと、個別の商品に実際にその成分が含まれていたこととは別の話だという点である。 「コカ・コーラにチクロが入っていた」という噂があったとしても、同社の製品には使用がなかったと反論されている。
仙台コカ・コーラ郡山工場製のコーラ、ファンタには水銀が含有していたので郡山工場は製造中止なった(昭和47年8月16日、18日、22日、23日等に報道)。 ヘアピンや沈殿物、カビの混入といった「ファンタ事件」(昭和47年8月22日、26日等)も相次いでいた。
巷ではコーラに含まれる燐酸の過剰摂取がカルシウムの吸収を阻害するといわれ、消費者の印象として「コカ・コーラを飲むと骨が溶ける・成長を阻害する・骨折しやすくなる」という噂になった*31。
コーラに含まれるカフェインの過剰摂取による健康懸念が国会で論じられ、特に青少年のカフェイン中毒が問題視された。
「空き缶公害」問題も発生した。
缶飲料の増加に伴い、空き缶の不法投棄が社会問題となった。特に道路や河川への投棄が問題視された。自販機を日本各地に設置し、販売量も多いコカ・コーラ社は空き缶も多く出すため、ごみ箱の設置や寄付など社会への対応を迫られた。
「懸賞の不当表示事件(昭和49年8月)」も発生した。
コカ・コーラの懸賞(BIGSKY&BIGSOUNDプレゼント)に、ある客が12缶飲んで応募したが、「さわやか賞」の40円割引券が送付された。
これは店でコカ・コーラ商品を4本(1本90円)買えば40円割引になる券で、3本以下では使用できなかった。
「インチキだ」「不当表示で詐欺的だ」と、消費者が神戸市に相談した(さらに一つの広告枠にオープン懸賞と景品供与を併載する手口も、誤認問題と認定された)。
公取委扱いとなり、結果、新聞にお詫び広告が掲載され、「さわやか賞」はもれなく試飲券に変更され、30万名に郵送された。
以上のような事件や事故が頻発し、消費者の不信を払拭し、企業・商品イメージを向上させる施策が必要な時期だった。
その影響かもしれないが、売り上げも低迷していた。
コカ・コーラの年間販売量は、昭和48年が約1億6,500万ケース、昭和49年が約1億5,000万ケース、昭和50年が約1億3,000万ケース、昭和51年が約1億4,400万ケースと低迷傾向にあった。
ようやく昭和52年に約1億8,500万ケースとなり、増加に転じた。
こうした複合的な企業危機の中で、顧客の指摘に応えた「着色料の変更・失敗」による新ファンタグレープの製造中止は、相次ぐ不祥事や企業責任への問いかけの「最後の一滴」になったのではないか。
ただし企業の評判や商品への信頼が課題になったことは想像できるが、それが「ゴールデン・アップル」の企画や記録保存に直接影響したと示す資料は、まだ確認できていない。
これは、当時の企業環境を踏まえた筆者の推察に過ぎないのである。
8.3 コカ・コーラ社の問題山積のタイミング
企業の社会問題はコカ・コーラに限らない。
昭和30年代~50年代の日本は高度経済成長期で、商品が急激にあふれた。
工場の廃液や煤煙による公害問題をはじめ、副作用が多く、それらへの対策が講じられていないか、企業が回避する時代だった。
品質や表示が正しくない(うそつきジュースなど)、添加物の健康被害、量目不足、すぐ壊れるなど、消費者の問責は様々だった。
「主婦連」などの消費者保護運動の団体が活動し、企業広告を載せない『暮らしの手帳』が「商品テスト」で監視するなど、発売側の会社が注意を払うのではなく、消費者側が厳しく監視する時代だった。
では、「着色料の失敗」や一連の不祥事を隠したいのは、誰に対してか。
国内の同業である清涼飲料水会社に対してもそうだが、米国本社にも顔向けできない事態だったのではないか。
たとえば同業の勉強会・研修会で、「次世代の天然着色料」として講演や発表をしていたとしたら。
新製品のお披露目会で「わが社が開発した凄い技術」と広報したのに、大失敗したのなら、肩身が狭いだろう。
もともと日本コカ・コーラは、日本で諸手を挙げて歓迎された会社ではない(むしろ、「来るな」と反対されていた)。
コーラが日本市場へ参入する際には幕末の「黒船上陸」と比喩され、清涼飲料水業界とも摩擦があった。
長い時間をかけた話し合いや、麒麟麦酒を出資者として取り込む、高額の協力金を出捐する、などによって、企業活動が円滑になるようになってきた。
時期的にも、昭和47年には日本コカ・コーラボトラーズ協会の「全国清涼飲料工業会」への加盟が承認された。
さらに外資系として初めて、日本コカ・コーラが昭和47年9月に「経団連」へ加盟し、昭和48年12月には日経連にも加盟できた。ちょうど、日本の企業社会に溶け込み、「怪しい外国企業ではない」という企業イメージを高めようとしていた矢先の出来事だった。
しかも代替商品の「ゴールデン・グレープ」は「色が薄く」、消費者も離れ、売り上げが低迷した。
これはどう評価しても失態だろう。
これを糊塗する目的で、対応として発売した突然の薄い色の「ゴールデン・グレープ」発売だけでは体裁が悪く、他の「ゴールデンなになに」商品を続けて出すことにしたのではないか?
これで「実は、当社は最初からゴールデンシリーズを発売する予定だったんですよ」という建前が生まれ、取り敢えずの体面を繕おうとしたのではないか?
先述のように、当時の清涼飲料業界では「りんご味」にあまり力が入っていなかったが、「HI-Cアップル」の成功があり、「ゴールデンなになに」の第二弾は「アップル」を採用したのだろう(この年、他社も追随したため、りんご果汁の需要が高騰し逼迫しているほどだ)。
昭和53年4月には、ようやく着色料問題を解決した「ニュー・ファンタ・グレープ」が完成した。
商品的には、「ゴールデン・グレープ」も「ゴールデン・アップル」も一応お役御免となった。
コカ・コーラ社は販促活動についても、昭和50年以降、怒涛のごとく様々なキャンペーンをはっている。
昭和51年10月から11月に「ヨーヨープロモーション」が実施され、全国的なブームにつながったことが社史等に記録されている。
全国的な第一次ヨーヨーブームを起こした、昭和51年10月からの「アメリカンヨーヨー(ラッセルヨーヨー)・キャンペーン」が全国的にヒットし、企業イメージも上昇局面に入ったと推察する。(さらに昭和52年には王冠裏のスーパーカー・キャンペーン(ピンク・レディーを起用)、昭和53年にスター・ウォーズ・プレゼントと、広告戦略でイメージはさらに上昇した)。
昭和51年には日本コカ・コーラは「コカ・コーラ発売90周年」を控え、昭和52年には日本飲料工業株式会社設立以来20周年の記念行事を迎えるという大事な時期なのであった。
こうした積極的な販促活動と、ファンタの着色料変更・沈殿問題が同じ時代に起きていたことは確認できる。
ただし、販促活動の成功が企業イメージを回復させたことや、90周年をつつがなく迎えたかったことや、ゴールデン・アップルの記録保存に直接影響したことまでは、資料からは証明できない。
8.4 「負担」となったか、ゴールデン・アップル
仮に急遽、「ゴールデン・アップル」がゴールデン・シリーズ商品として企画されたのだとすれば、後年、その企画が社内でどのように評価されたのかという疑問が生じる。
場当たり的な「糊塗策」だったが、年を経るごとに逆に裏目に出たと考えられないか。
世間の考え方も、幹部や経営者の志向も時代とともに変わる。
「実はゴールデン・シリーズだった」として「ゴールデン・アップル」を発売せずに、真摯に「グレープ」の着色技術の失敗と向き合うだけでよかった、という後付けの反省が生まれたのではないか?
大企業として小手先の策を弄したために、後年「ゴールデン・アップル」は苦渋の存在へ変わってしまったのではないか?
一時しのぎの弥縫策を重ねた結果、「あれは悪手だったね」と社内で評価され、ゴールデン化の面々は人事的に冷や飯食いの路線となったのではないか?
経営環境や消費者の関心は時代とともに変わるため、当時は合理的と考えられた判断が、後から見れば最善ではなかったと評価されることもある。 ただし、ゴールデン・アップルが「糊塗策」だったことや、社内で失策と評価されたことを示す資料は確認できていない。
8.4.1 黒歴史説を仮説としたときの合理度
この「コカ・コーラ社の黒歴史説」を援用すれば、次の疑問にも説明がつく。
「なぜ資料が残っていないのか」《→恥ずかしいから保存しなかった》
「どうして実物の王冠や缶どころか写真も残っていないのか」《→事業の歴史上、「存在しない」ことにするため、すべて焼却・破棄した》
「なぜ公式に否定見解を出したのか」《→「ないものとして運用」が方針だったので、できれば昭和50年に体験した子供たちがいなくなればと考えていた。当時の体験者は高齢化なので「記憶違い」でごまかせるかも……。何度も「それは幻だ」といえば、人は自信が揺らぐものだ》 ただし、これらの問いに対する答えを、資料なしに確定することはできない。
資料が見つからない理由としては、意図的な廃棄だけでなく、当時保存されなかった、社内で共有されなかった、移転や組織改編の際に散逸した、個人所蔵のまま所在不明になったなど、複数の可能性がある。
公式の否定回答についても、原文や照会内容、回答者が参照した資料が不明なうちは、隠蔽の意図があったとは判断できない。
黒歴史説は、こうした可能性の一つとして提示するにとどめたい。
8.4.2 「隠しようがない」ゴールデン・グレープの記録
だが。ここで問題になる事が二つある。
- なぜ、ゴールデン化が失策ならば「ゴールデン・グレープ」については記録が残っているのか、矛盾ではないか。
- 黒歴史なら、2002年以降に「ゴールデン・アップル」が復刻されたことに説明が付かない
ゴールデン・グレープは、もともとは合成着色料問題への「公式対応策」として発売された「新グレープ」の流れにあり、着色料について消費者団体・マスコミへの説明責任を果たすために、「代替商品を開発した」という事実は必要だった。
このため、ゴールデン・グレープについては、その登場理由を説明する資料が社史などに残る場合がある。
2002年以降に「ゴールデン・アップル」が復刻されたことは説明が付かなかったが、なんと2025年にコカ・コーラ社が公式の否定見解など無かったように、ゴールデン・アップルが存在したていに転向しているのである。
これらの矛盾とか、整理がつかないこと自体が、社内政治や派閥の違いで方針が変わることや、ゴールデン・アップルを持て余している証左ではないだろうか。
8.4.3 ゴールデン・アップルは「自主的なシリーズ商品」だったのか
筆者は、ゴールデン・グレープだけでなく、別のフレーバーにも「ゴールデン」の名を付けることで、商品群として展開しようとした可能性を考えたといった。
そうであれば、ゴールデン・アップルは着色料問題への直接の代替品ではなく、同じ時期の命名・販売戦略の一環だったことになる。
もっとも、これを「社内の糊塗策」だったと示す企画書、会議録、担当者証言は確認できていない。
商品名や発売時期の近さだけから、会社が失敗を隠すために企画したと断定することはできない。
8.4.4 2002年・2025年の商品化をどう読むか
2002年の商品化について、当時の論争そのものを話題づくりに利用した可能性はある。
一方、過去の商品への関心や消費者の要望に応えて新商品を発売した、と考えることもできる。
どうして「ゴールデン・アップル」の「復刻版」を2002年以降、複数回発売しているのか。については、以下の見解である。
2000年代初頭、ネット上で「ゴールデンアップル論争」が加熱した。
企業として「あれはなかった」と否定しながらも、「都市伝説を逆手に、商品化を狙う」という対応の社内意見が出た、と考えられる。
これにより、「黒歴史」を「都市伝説」というエンタメ要素へ変換する施策で過去を払拭し、消費者の記憶を「懐かしい都市伝説」として再定義して、「あった派」と「なかった派」を調整し、軟着陸させようとした、という読みである。
ただ、企画書や社内記録が確認できない以上、どの説明が正しいかは決められない。
そして更に、理解不能なひねりが加えられた。
2025年の日本コカ・コーラの発表は、「復刻」と表現し、発売当時の販売期間が短かったことにも言及している。
これは、以前ネット上で紹介されていた否定回答だけを根拠に、会社の現在の立場を説明することができないことを示している。
ただし、2025年の転向によって、2002年・2025年の商品化に、過去の発売記録を曖昧にする意図や社内政治上の狙いがあったとする根拠が逆に見いだせなくなった。
全く方針が固定せず、簡単な取り消しによって矛盾が発生、一貫性もないという、無茶苦茶な施策ではないか。
もしかしたら理由は非常に単純で、昔「ゴールデン・アップルは発売したことがない」と声明を出したこと自体を忘れているのだろうか? 実は何にも考えていない?
ただ今回(2025年のゴールデン・アップルを公式が認容へ転向)のおかげで、「ゴールデン・アップル」が「無かった」と主張する派にとっては、ハシゴを外された格好だが、日本コカ・コーラ社の良くいえば「柔軟さ」を理解して貰えたことと思う。
今後、「やはり、資料がありました!」というコペルニクス的転換の報告がある可能性さえ出てきたではないか。
8.4.5 黒歴史説の位置づけ
本章では、商品が短期間で販売を終えた可能性、当時の着色料問題、企業が不都合な過去をどう記録するかという問題を結び付け、黒歴史説を仮説として提示した。
しかし、企業が意図的に記録を隠したこと、2002年の商品化が社内政治上のメッセージだったこと、2025年の復刻が過去の事実を意図的に曖昧にする戦略だったことは、いずれも本稿の資料からは証明できない。
この仮説を今後検証するには、発売当時の商品企画書、社内報、会議録、当時の広報資料、担当者の証言などが必要になる。
当然、黒歴史説を結論とするのではなく、今後の資料発掘に向けた問いとして残しておきたい。
8.4.5 黒歴史説の位置づけ
他に企業の政治問題に帰結するような説を唱えている方はいないのだろうか。
くりまんじゅう「ファンタ・ゴールデンアップル」サイトにはコメント欄に、次の書き込みが匿名によってなされている。タイムスタンプは「2025年12月2日 15:48」である。
「ファンタゴールデンアップルとゴールデングレープは要するに同じ物だと思う。ファンタグレープの代打として開発した新商品にどんな名前をつけるか偉い人の間で揉めたんじゃないかな。テレビCMではゴールデンアップルと呼んでいたのに。缶や王冠にはゴールデングレープと印刷されてしまった。CMを中止することは出来るが、缶や王冠を回収するのは難しいのでゴールデンアップルは無かった事にされたと言うのが私の推理。ただし真相を隠滅しようとしている勢力が居るみたいなんですね、関連スレッドが書き込めなくなっているのもサイバー攻撃ではないかと思うのでご注意を」
匿名氏の主張はおそらく、 「色が薄い「ゴールデン・グレープ」が誕生したが、日本コカ・コーラ社内では、『これはグレープとは言えないのではないか。むしろ「ゴールデン・アップル」と呼称すべきだ』という勢力が現れていた」
ということだろう。そしてもめごとがあり真相を隠蔽しないと社内的な立場に影響がある派閥に属している場合は、代打的な存在であった「ゴールデン・アップル」は、いっそ無かったことにされたと。
社内政治により一つの商品の記録が葬られる、だが消費者の「味の記憶」という強い思いがその隠蔽と衝突して、矛盾が解決できなくなっていた――という発想は、非常に興味深く、他の「記憶混同説」などよりも説得力があり、発想面では賛意を表したい。
ただ総論賛成・各論反対である。
・北海道コカ・コーラボトリングの社史に掲載された「ゴールデングレープを発売せず、技術で新グレープを発売した(製造工程に温熱殺菌を加えて沈殿物問題を解決したのか?)とあり、社史を信頼すれば、「ゴールデン・グレープ」を「ゴールデン・アップル」と呼称しようとする点には疑問がある。
・代打商品としてであっても、「味覚」の問題がどうしても解決できずに残る。「ファンタ・ゴールデン・アップル」と称しても味は「グレープ」というのは、致命的だ (もしかして一旦、グレープは製造停止として、ゴールデン・アップルのみを製造したのなら納得だが、エクセルの発売一覧ではそうなっていない)。
・上記の問題を百歩譲って認めたとしても、どう考えても「新グレープ」の研究開発を日本コカ・コーラ社は進めているので(匿名氏も「代打」と認めている)、欠点を克服したグレープ商品ができたあかつきには、元の商品体系に復帰するための整理が混乱する。
つまり、どういうことか。 「人工着色料の旧グレープ」→「色が薄いのは変なので『ゴールデン・グレープ』の名称で販売」→沈殿克服→「沈殿しない天然着色料使用の『新グレープ』」 という道筋は道理に叶うが、 「人工着色料の旧グレープ」→「色が薄いのは変なのでブドウから離れて『ゴールデン・アップル』と名付けて販売」→沈殿克服→「沈殿しない天然着色料使用の『新グレープ』」
という流れになると、前述した様に、
- 一旦「『グレープ』フレーバー商品の空白期間」を作らざるを得ない
- 『ゴールデン・アップル』をひっこめる」という事が必要になり、このような変則手をあえて使用する利点が少ない。
単に、色が薄いため名称の問題だからこそ「ゴールデン・アップル」という改称策で弥縫したのではないのか?
第9章:結論
9.1 現時点で言えること
本稿では、「ファンタ・ゴールデン・アップル」が1970年代に実在したと判断するに足る、同時代の記載資料を提示できたと考える。
特に重要なのは、昭和53年に発売中止となった商品を掲載する『飲料商品便覧1979年』に、北九州コカ・コーラボトリングの商品として「ファンタ・ゴールデン・アップル」250ml缶が記載されている点である。 商品名だけでなく、容量、卸価格、小売価格が記されていることから、後年の記憶談とは異なる種類の根拠となる。
『秋田魁年鑑』の広告にも、ファンタの品目として「アップル」などの記載がある。ただし、昭和53年版にある「ゴールデングレープ・アップル」という表記は、句読点の使い方の法則だけからは商品名を完全に確定できないため、主たる根拠である『飲料商品便覧1979年』とは証拠の強さを分けて扱った。
柴門ふみの著書、複数のブログ投稿、筆者自身の記憶も、この商品名をめぐる論争を理解するうえで重要である。
ただし、個々の証言は、それだけでは発売したボトラー、正確な発売年月、商品容量を決める資料にはならない。証言と同時代の記載資料を区別しながら、照合することが大切である。
2025年の日本コカ・コーラ公式発表は、商品を「復刻」と呼び、「発売当時の販売期間が短かった」と説明している。これは、現在の公式説明を理解するうえで重要な情報である。
9.2 今後の課題
本稿の中心的な主張を、さらに強固なものにするために必要なのは、企業の意図を推測することよりも、地域別の記録を積み上げることである。
各ボトラーについて発売開始年・終売年、瓶・缶の容量、発売月を個別に確認し、確実な記録と傍証を区別した表にしていく必要がある。
特に資料がない「長野コカ・コーラボトラーズ」「南九州コカ・コーラボトラーズ」は重要かも知れない。
商品が短期間しか販売されなかったなら、その短さ自体が資料の少なさを説明する一因になり得るが、それも地域別の記録に基づいて判断するのが筋である。
「都市伝説」という呼び方だけでは、この商品の歴史は説明しきれない。
少なくとも、本稿で示した同時代の記載を手がかりに、商品名が単なる後年の記憶だけから生まれたという説明を再検討する余地はある。
一方で、資料が残っていない理由を企業による隠蔽とみる説は、今のところ仮説にとどまる。
記録の有無だけを根拠に、個々の記憶を一律に「勘違い」と片づけることも、反対にすべての記憶を正確とみなすこともせず、資料に即して検討を続けるべきだろう。
資料の扱いについて
本稿で示した証拠の強さは一様ではない。
『飲料商品便覧1979年』の発売中止商品一覧や『秋田魁年鑑』の広告は、商品名が実際に記された文献資料である。
柴門ふみや森博嗣の著書、ブログの投稿は、当時または後年に「ゴールデン・アップル」という名称が記憶・記述されていたことを示すが、それだけで発売地域や容量を確定できるものではない。
筆者自身の記憶も、調査を始めるきっかけとして重要ではあったものの、独立した文献資料とは区別しておきたい。
さらに、企業が意図的に記録を隠したという説明や、2002年の商品化に社内政治上の意図があったという説明は、本稿で提示した資料から直接証明できていない。これらは筆者の仮説であり、現時点で確認できる事実とは分けて読んでいただきたい。
参考文献
参照した文献・資料
- 工業市場研究所食品マーケティング部『飲料商品便覧1979年』「1978年発売中止商品一覧」、111~112頁。国会図書館デジタルコレクション
- 『秋田魁年鑑』昭和53年版、秋田魁新報社、1977年10月。みちのくコカ・コーラボトリングの広告。国会図書館デジタルコレクション
『秋田魁年鑑』昭和55年版、秋田魁新報社、1979年10月。みちのくコカ・コーラボトリングの広告。国会図書館デジタルコレクション
日本コカ・コーラ「企業情報/コカ・コーラシステム」https://www.coca-cola.com/jp/ja/media-center/company-information
- 日本コカ・コーラ「待望の声にお応えして“幻の味”が期間限定で復刻!『ファンタ ゴールデンアップル』11月10日(月)全国発売」2025年10月31日。https://www.coca-cola.com/jp/ja/media-center/news-20251031-11
- 久須美雅士「現実か幻か? 都市伝説にもなったあの飲料が登場! ファンタ・ゴールデンアップル」『All About』2002年10月27日。https://allabout.co.jp/gm/gc/217940/
- 「現代飲料考―飲料情報、津々浦々―5」https://www.stij.org/drink/d-info5.html
- 国会会議録検索システム「第71回国会 衆議院 商工委員会 第14号」昭和48年4月4日。https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=107104461X01419730404
- 竹内竜介「外資系企業の日本市場参入とビジネス・システム―コカ・コーラ社の事例―」『横浜経営研究』第39巻第3・4号、2019年。https://www.cba.ynu.ac.jp/gakkai/kaisi/pdf/39-3-2.pdf
関連する論考・回想
- 赤木智弘「『ファンタ ゴールデンアップル』は存在しなかった? 平成の都市伝説からみる、フェイク判定の難しさ」『ライブドアニュース』2022年。https://news.livedoor.com/article/detail/22257886/
- くろねこ「ファンタゴールデンアップルの都市伝説」『くろねこさんの昼さがり』2021年12月12日。http://kuronekosannchi.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-82f196.html
- 「ファンタゴールデンアップル味」『仙台・幸町から写真日記』2005年11月7日。https://saiwai.exblog.jp/2519758/
- くりまんじゅう「ファンタ・ゴールデンアップル」『YUME-NO-MAKADE』2007年10月11日。http://yume-no-nakade.blogspot.com/2007/10/blog-post_11.html
- 「あの夏にあったはずの味がない?」『フワっと、ふらっと、心理学。ガッツリ、どっぷり、法・簿記会計』2025年。https://note.com/easypsychology/n/n79f2ab1c5e94
- tonmanaangler「ファンタゴールデンアップル論争(その2)」『はてなブログ』2006年。https://tonmanaangler.hatenablog.com/entry/20060613/1150213859
- 「いまさら『大討論』、ファンタゴールデンアップル(笑)」『マイクロ・デポ』2011年。http://microdepot.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-9a82.html
- Jonathan McElwain, “Drink Coca-Cola Star Wars: The Japanese Coca-Cola Campaign of 1978,” 2024. https://blog.theswca.com/2024/04/drink-coca-cola-star-wars-japanese-coca.html
なお、参考文献に挙げたサイトには、本稿中で直接言及していないものもある。サイトを読んで、ファンタ・ゴールデン・アップルへの「マンデラ効果」の充当例を確認したり、反対者の論考や体験者の証言を確認したりするうえで参考にしたため、ここに挙げた。
書籍
- 柴門ふみ『青春とはなんだかんだ』小学館、1994年
- 森博嗣『すべてがEになる』幻冬舎、2000年
- 日本コカ・コーラ株式会社社史編纂委員会編『愛されて30年』日本コカ・コーラ、1987年。
*1:久須美雅士「現実か幻か? 都市伝説にもなったあの飲料が登場! ファンタ・ゴールデンアップル」『All About』2002年10月27日、https://allabout.co.jp/gm/gc/217940/
*2:日本コカ・コーラ「企業情報/コカ・コーラシステム」https://www.coca-cola.com/jp/ja/media-center/company-information
*3:日本コカ・コーラ株式会社社史編纂委員会編『愛されて30年』、日本コカ・コーラ、1987
*4:資本主義社会のもとで、自社情報の取捨選択をする対応は当たり前で、特に、日本コカ・コーラ社がこのような行動をとったとしても否定や非難されるべき筋合いはない
*5:例えば自分では、未だ誰も研究していない主題だと自負していたが、未発表なだけで相当深い研究調査をされていた人が他にいたなど
*6:Jonathan McElwain「Drink Coca-Cola Star Wars: The Japanese Coca-Cola Campaign of 1978」、2024、https://blog.theswca.com/2024/04/drink-coca-cola-star-wars-japanese-coca.html
*7:「現代飲料考―飲料情報、津々浦々―5」には、天然着色料への移行、白色沈殿問題、ゴールデングレープ登場の経緯が要領よくまとめられている。ただし、この記事では全国的な時系列で解説しているが、各地ボトリング会社の個別発売年月と同一視することはできない。同サイトでは「「ニューファンタグレープ」の登場から2ヶ月後の1977年5月、「ファンタゴールデングレープ」は発売を中止しています。 」と全国同一現象的に書くが、そう単純ではない。エクセルの一覧表のとおり、1977年5月以降も発売するボトリング会社は複数あるのだ。また「ファンタ・アップル」も昭和49年12月発売で昭和54年4月発売中止と一般化しているあるが、これも各ボトラーごとに異なっているのだ。 現代風俗研究会サイト https://www.stij.org/drink/d-info5.html#55
*8:『All About』、2022年10月28日、https://allabout.co.jp/gm/gc/493513/
*9:「りんご汁」のイメージとしては病気の時にすりおろしを絞って飲む」程度であった。筆者の家は父が明治乳業関係だったので明治の角瓶「りんご」は飲んでいたが、これは黄金色というよりもっと濃い「琥珀色」である
*10:https://news.livedoor.com/article/detail/22257886/
*11:昭和50年の段階で、『ロッテアップルソーダ缶・森永ツイストソーダりんご瓶・明治乳業スカットりんご瓶・日本セブンアップチェリオアップル瓶・武田マリンカ瓶と缶・協同乳業名糖ライティアップル缶・カナダドライアップルソーダ瓶と缶』がある。ただしそれらはマイナーか販売チャネルが限定的であり、『リボン・サントリーフルーツソーダ・ミリンダ・明治製菓・サンキスト・雪印ドリンカ』というナショナル・ブランドのメジャーな炭酸飲料ブランドシリーズのフレーバーにはアップルはない
*12:北海道コカ・コーラボトリング株式会社25周年史編纂委員会編纂『北の大地とともに25年』北海道コカ・コーラボトリング,1989」
*13:『食品マーケティング便覧1980 中巻』富士経済,1979
*14:似た物同士でも、「区別」は子どもにとって重要だった。新しいウルトマランは「帰マン」「新マン」として区別した。ライダーは「1号」と「2号」の仮面や服装、ベルトが違うと認識していた。 他には怪獣のジラースとゴジラを区別するとか、共通の着ぐるみを使うが、「バラゴン→パゴス→マグラー→ガボラ」は転用されたのであって怪獣としては別の物であるなど。 特撮はマニアックかも知れない。例えばスポーツドリンクを買った経験に於いて、意匠や味の点で「ポカリスエット」と「アクエリアス」を混同してしまうかどうか、ということに近いのである
*15:くりまんじゅう「ファンタ・ゴールデンアップル」『YUME-NO-MAKADE』2007年10月11日、http://yume-no-nakade.blogspot.com/2007/10/blog-post_11.html
*16:ピクシブ百科事典「ファンタゴールデンアップル」、https://dic.pixiv.net/a/ファンタゴールデンアップル
*17:久須美雅士「現実か幻か? 都市伝説にもなったあの飲料が登場! ファンタ・ゴールデンアップル」『All About』2002年10月27日、https://allabout.co.jp/gm/gc/217940/ なお、この記事中で久須美は「1980年代までは地域限定製品がたくさんありました。」として、ファンタのフレーバーの発売を年表式で記述している。だが、「ファンタ・レモン」は「1979」のところに位置づけている。確かに1979年に6ボトラーがレモンを発売している。しかし富士・中京のボトラーでは、昭和51年に既にレモンが発売されている。ボトリング会社方式であるから、ボトリング会社名を併記するか(「地域限定製品がたくさんありました」と記述しているので、該当フレーバーを発売した、地域のボトリング会社名をむしろ書くべきでは?)、一番先に発売を手掛けたボトリング会社の発売年に合わせるなどの工夫が欲しい
*18:日本コカ・コーラ「待望の声にお応えして“幻の味”が期間限定で復刻!『ファンタ ゴールデンアップル』11月10日(月)全国発売」 2025年10月31日、https://www.coca-cola.com/jp/ja/media-center/news-20251031-11
*19:くろねこ「ファンタゴールデンアップルの都市伝説」、『くろねこさんの昼さがり』、2021年12月12日、http://kuronekosannchi.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-82f196.html
*20:これを鵜呑みにする人々がいるが、なぜ、吟味せず簡単に信じてしまえるのか、わからない。 多分、「なんだか体調がよくなかったが、医師の診察で病名が診断されたことで安心した」というのと同様、人は「何か名前が付くとホッとする」という機序があるのではないか。 それこそ「心理学的現象の名詞化で惹起する安心効果」とか名前を付ければよいか。 「吊り橋効果」などに違和感があるのは、名称を与えることによって複雑で個別的な人間の言動を一括りにし、まるでその行動を説明したかのような錯覚が生じるからである。 恋愛テクニック? 気になる異性を危険にさらす前に、教養やマナーなど自己を成長させましょうよ。 名称は本来、事例を検討するための道具にすぎない。 それが独立した実体や原因であるかのように扱われ始めたとき、分類のための概念が説明そのものにすり替わり、さらにその名称自体が学術的権威を帯びて独り歩きする危険もでる。 命名された概念を、個々の事例を検討するための仮説・分析道具ではなく、個々の事例を説明したことにする万能語として使用することには反対する。 名前を付けることによって、分からないものを分かったこととして、本質を見えなくしてしまう危険があると思う。 現象の命名自体に反対なのではない。 専門家は使えばよい。 薬物と同様、素人がカジュアルに使うものではないと思う((話はズレるが心理学ほど、その専門知識が一般社会に広く流通しているにもかかわらず、学問的には素人や学生に軽視されている学問はないのではないか。大学の一般教養でも人気科目である。物理学について「私はニュートン力学について独自の理論を持っている」と言う人はそう多くない(まずいない)。しかし心理学になると、 「それは○○効果のせいなんですよ」 「人間には○○バイアスがありますから」 「心理学ではこういう人は○○なんです」 と、心理学は一般人にとって身近すぎるために上記の発言を簡単にすることがみられる。
*21:心理学が他の学問に比べて素人から軽く扱われやすいことの一つの傍証として、精神的に悩んだ方が、心理学を「自分自身の悩みや生きづらさを理解するための学問」と捉え、そこから「心理職」「カウンセリング職」を志望動機とする人が少なくないことも挙げられるだろう。 もちろん、自己の経験を心理学への関心の契機とすること自体は何ら問題ではない。しかし、心理学を自らの体験の延長として理解し、その専門性を「人の気持ちが分かること」や「悩みを聞くこと」と同一視してしまう風潮は、実験や調査、統計および測定などによって人間の心理を検証する学問としての側面が見えなくなる。 これも心理学が「誰もが自分の経験から語れる学問」であるかのように受け取られ、その専門性が軽視される一因と考えられる
*22:確かにこの頃、小学生であった筆者は放課後の道草で商店に寄り、口渇が強いとき、あるいは体調的に「大量でも飲めそう」な時は、500ml瓶を購入して飲んでいた。 しかし大量の炭酸を飲むのはつらく、最後の100ml程度になると余り美味しいと思わず、もったいないからという義務的に飲んでいた記憶がある
*23:日本コカ・コーラ「企業情報/コカ・コーラシステム」https://www.coca-cola.com/jp/ja/media-center/company-information
*24:The World History Encyclopedia 「Hesperides」 https://www.worldhistory.org/Hesperides/
*25:「Apples in mythology」 https://en.wikipedia.org/wiki/Apples_in_mythology
*26:工業市場研究所食品マーケティング部『飲料商品便覧1979年』「1978年発売中止商品一覧」、111~112頁。
*27:工業市場研究所食品マーケティング部『飲料商品便覧1979年』「1978年発売中止商品一覧」、112頁。
*28:竹内竜介「外資系企業の日本市場参入とビジネス・システム―コカ・コーラ社の事例―」『横浜経営研究』第39巻第3・4号、2019年、https://www.cba.ynu.ac.jp/gakkai/kaisi/pdf/39-3-2.pdf
*29:国会会議録検索システム「第71回国会 衆議院 商工委員会 第14号」昭和48年4月4日、https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=107104461X01419730404
*30:食品安全委員会「Q&A詳細:食品添加物について」2012年11月1日、https://www.fsc.go.jp/fsciis/questionAndAnswer/show/mob20111100014
*31:この噂は根強かった。筆者は中学2年のときに腕を骨折した。授業中に数学教師から「いつもコーラを飲んでいるか?」と誘導尋問のように質問され、「はい放課後に飲むことも」と応答すると、「やっぱりな」とニヤリと笑り、その後は延々とコーラで骨が溶けるという話を数学の時間に演説していた。コーラがどうのということではなく、ひとの怪我という痛みを非科学的にバカにした態度に納得がいかなかった。授業中に笑いをとれるスピーチの話題を見つけ、生徒のウケを狙っていたようだった。これは異常にいやな気分だった。その後、友人の姉の見合い相手がこの数学教師であったので「あいつはやめた方がいい」と、あること無い事の出鱈目な風評を流してご破算に追い込み、溜飲を下げた。人間、どこで思わぬ恨みを買うかわからないので、他人を揶揄することなく、親切にしておくべきである。
*32:くりまんじゅう「ファンタ・ゴールデンアップル」『YUME-NO-MAKADE』2007年10月11日、http://yume-no-nakade.blogspot.com/2007/10/blog-post_11.html











